「修猷館(しゅうゆうかん)」は1784(天明4)年に開館した福岡藩の藩校。1871(明治4)年、廃藩置県により廃止となるが、1885(明治18)年に「福岡県立修猷館」が開館、「修猷館」の名が復活した。以降、数度の改称を経て1925(大正14)年「福岡県中学修猷館」に。現在の地(当時は早良郡西新町)に移転してきたのは1900(明治33)年。写真は移転の頃の撮影。戦後の1948(昭和23)年、新制の「福岡県立高等学校修猷館」、翌年「福岡県立修献館高等学校」へ改称し現在に至っている。
早良郡西新町には、明治期以降、学校や官公署が市中心部から移転してきた。また、明治末期には、現在の「明治通り」に路面電車が通り、大正期には北九州鉄道も開業。交通利便性が向上し、一帯は海水浴客や寺社の参拝客などを集める行楽地ともなった。西新町は1922(大正11)年に福岡市へ編入され発展、現在は福岡市西部の副都心となっている。