「百道地区」の埋立ては1982(昭和57)年から1986(昭和61)年に行われた。写真は1983(昭和58)年5月に「西南学院高等学校」から校庭越しに撮影した埋立て中の様子。この学校は2003(平成15)年に埋立地内となる早良区百道浜一丁目の現在地に移転しており、撮影地点は現在「西南学院大学」の「西南クロスプラザ」になっている。1986(昭和61)年、埋立地の愛称は「シーサイドももち」に決まった。
1977(昭和52)年の「第4次福岡市基本計画」で、人口急増のための住宅地確保の一環として、百道、姪浜などの臨海部における埋立て造成による住宅地確保が盛り込まれた。1981(昭和56)年の「第5次福岡市基本計画」では、より複合的な目的をもった新しい海浜都市の整備が目標とされ、翌年から「地行・百道地区」「小戸・姪浜地区」の埋立てが始まった。