「百道地区」の埋め立ては1982(昭和57)年から1986(昭和61)年に行われた。写真は1983(昭和58)年5月に「西南学院高等学校」から校庭越しに撮影した埋め立て中の様子。この学校は2003(平成15)年に埋立地内となる早良区百道浜一丁目の現在地に移転しており、撮影地点は現在の「西南学院大学 西南クロスプラザ」付近となる。1986(昭和61)年、埋立地の愛称は「シーサイドももち」に決まった。
MAP __(西南クロスプラザ)【画像は1983(昭和58)年】
「シーサイドももち」では、「アジア太平洋博覧会(愛称「よかトピア」)」が1989(平成元)年3月から9月に開催された。「福岡タワー」(写真左奥)は「よかトピア」の開幕と同時に営業開始。「テーマ館」だった建物(写真右)は、翌年「福岡市博物館」として再オープンした。閉幕後、街づくりが本格化し、文化施設、レジャー施設、学校、公園、住宅をはじめ多くの機能が集積する都市が誕生した。現在は多くのIT企業や研究所、放送局もあり、福岡の情報発信基地としての機能も担なっている。
MAP __(福岡市博物館)