写真は「西新商店街」の一角に位置する「大串通り」の1981(昭和56)年の様子。狭い路地に商品が並べられ賑わっている。この先に「ユニード 西新店」があった。 MAP __
かつて、「唐津街道」沿いに鍛冶屋、材木屋、石屋、下駄屋などが軒を連ね、また、「紅葉八幡宮」の門前町として発展した西新。戦後は「リヤカー部隊」でも賑わうようになり、現在では福岡市西部最大の商業地となっている。周辺では住宅地化も進み、大型の商業施設も進出した。街の公共交通の中心は路面電車からバス、そして地下鉄に移り変わった。
かつて、「唐津街道」沿いに鍛冶屋、材木屋、石屋、下駄屋などが軒を連ね、また、「紅葉八幡宮」の門前町として発展した西新。戦後は「リヤカー部隊」でも賑わうようになり、現在では福岡市西部最大の商業地となっている。周辺では住宅地化も進み、大型の商業施設も進出した。街の公共交通の中心は路面電車からバス、そして地下鉄に移り変わった。
写真は「西新商店街」の一角に位置する「大串通り」の1981(昭和56)年の様子。狭い路地に商品が並べられ賑わっている。この先に「ユニード 西新店」があった。 MAP __
毎日、昼過ぎになると西新の商店街には「リヤカー部隊」と呼ばれる行商の人たちが集まってくる。戦前から周辺の農家は農作物をリヤカーに積み行商していたが、戦後に商店街で行商を行うようになった。当初は中央区の「唐人町商店街」で行われたが、アーケード設置で撤退を余儀なくされ西新に移ってきた。最盛期にはリヤカーは100台を超えたという。その活況が通行の妨げになることから警察との話し合いが行われ、1967(昭和42)年に「西新行商組合」を結成、営業許可制度により登録したリヤカーのみが営業できるようになったほか、出店時間などが取り決められた。 MAP __
現在は組合員の高齢化が進み、後継者不足などから出店するリヤカーは減少、普段は5~6台程度となった。朝採れの野菜の直販や、果物、切り花などを仕入れて販売しており、商店街と共に買い物客で賑わっている。 MAP __
1958(昭和33)年、スーパーマーケット「丸栄 西新店」が開店、1967(昭和42)年に改築され「ユニード 西新店」、1986(昭和61)年にダイエー系列のディスカウントストア「トポス 西新店」となり、2006(平成18)年から「ダイエー 西新店」に。2015(平成27)年「イオン 西新店」となったが、建物の老朽化を理由に翌年閉店した。写真はオープン当初の「トポス 西新店」。 MAP __
1981(昭和56)年、「西新地区第一種市街地再開発事業」による再開発ビル「西新エルモール」が完成、核店舗として「西新岩田屋」が開業。この再開発は福岡市地下鉄1号線の駅舎整備や、幹線道路の拡幅工事と合わせて行われた。写真は1981(昭和56)年の撮影で、正面左奥の建設中の建物が「西新エルモール」。道路には地下鉄工事のため迂回するよう標識が出ている。「西新岩田屋」は2003(平成15)年に閉店となり、同年「西新エルモールプラリバ」として再オープンした。 MAP __
「曙団地」は「日本住宅公団」(1955(昭和30)年設立、現「独立行政法人都市再生機構(UR)」)により西区(現・早良区)曙に建設された240戸からなる賃貸の公団住宅。入居開始は1956(昭和31)年5月で、九州の公団住宅としては一番早く、全国的に見ても最初期の団地であった。写真は昭和30年代、「祖原公園」付近から東方を撮影したもの。 MAP __(祖原公園)
左の住宅は上から見ると建物がY字型に見える「スタ-ハウス」。右のコンクリートの構造物は給水塔。 MAP __
写真は西鉄福岡市内線の「城西車庫」。手前の建物には「城西橋交代所」の表札が掲げられている。手前のボウリングの広告看板は1972(昭和47)年に開業していた「西新パレス」のもの。西鉄福岡市内線城南線廃止の直前の1975(昭和50)年の撮影。 MAP __
西鉄福岡市内線貫線の廃止数日後の西新界隈。架線ははずされているが、架線支持ワイヤは残されたままとなっている。左に見える赤煉瓦の建物は、「西鉄」の前身、「福博電車」時代の本社として1936(昭和11)年に建設され、「西鉄」発足の1942(昭和17)年から1945(昭和20)年まで初代の本社、その後は「西営業所」として使用された。 MAP __