明治時代の歌人、石川啄木は歌集『一握の砂』の中に『ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく』と詠んでいる。停車場とは「上野駅」のことで、東京に暮らしながらも、故郷・岩手を想う気持ちが伝わってくる。
戦後の昭和30年代、高度経済成長期にあった東京では、地方の中学卒業生も労働者として迎え入れており、「上野駅」では、毎年3月下旬に夜行列車で集団就職のために上京する光景が見られた。1964(昭和39)年には、集団就職者の気持ちを『上野は俺らの心の駅だ』と歌った『あゝ上野駅』がヒットしている。
「上野駅」に到着した直後の寝台特急「カシオペア」。撮影当時の2000(平成12)年の上りのダイヤは、「札幌駅」16:22発、「上野駅」9:21着で、所要時間は約17時間であった。「カシオペア」は1999(平成11)年から2016(平成28)年まで運行されていた。
【画像は2000(平成12)年】
1977(昭和52)年には『上野発の夜行列車』で北海道へ向かう女性の心情を描写した歌謡曲『津軽海峡・冬景色』が流行している。時間のかかる東北や北海道、北陸方面への列車は夜行も多かった。歌が発売された当時、『上野発の夜行列車』は一日に40本以上あったという。
近年、「上野駅」の始発・終着駅の役割は薄くなった。東北・上越新幹線は1991(平成3)年に「東京駅」まで延伸、2015(平成27)年には、上野東京ラインの運転が始まり、宇都宮線・高崎線・常磐線の一部列車は「上野」駅を始発・終着駅としなくなった。また、同年、北海道新幹線(2016(平成28)年開通)の工事などを理由に寝台特急「北斗星」が廃止、翌年には臨時寝台特急の「カシオペア」も廃止となり、『上野発の夜行列車』は全廃となった。
上京する人、故郷に向かう人が行き交い、様々なドラマが生まれた「上野駅」。今なお、故郷と東京をつなぐ『心の駅』と感じる人も多いだろう。