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複数路線が集まる「渋谷駅」の発展

明治後期から複数の路線が集まる駅となった「渋谷駅」は、昭和に入るとさらに発展した。1927(昭和2)年に東京横浜電鉄(現・東急東横線)、1938(昭和13)年に東京高速鉄道(現・東京メトロ銀座線)が乗り入れを果たし、多方面から人が集まり賑わいを見せた。


「東京横浜電鉄」の「渋谷駅」が誕生 MAP __

1927(昭和2)年、東京横浜電鉄渋谷線(現・東急東横線)が延伸され、国鉄(現・JR)の「渋谷駅」への乗り入れを果たした。開業当時の駅は国鉄の駅と「渋谷川」の間の狭い場所にあり、島式1面2線ホームを有する高架駅だった。1934(昭和9)年、「渋谷川」を暗渠化して建てられた「東横百貨店」の2階部分と接続する頭端式ホームとなり、1935(昭和10)年にホームを増設し1面3線のホーム構造となった。戦後は3面3線、4面4線のホームに拡張された。写真は開通当時の「渋谷駅」。【画像は1927(昭和2)年】

2013(平成25)年に地上から現在の地下ホームに移った。写真は2013(平成25)年3月16日、地上ホームの稼働最終日の終電後を撮影したもの。【画像は2013(平成25)年】

「渋谷駅」で飼い主を待ち続けた「忠犬ハチ公」 MAP __

渋谷で暮らしていた、「東京帝国大学」(現「東京大学」)の上野英三郎教授の飼い犬だった秋田犬の「ハチ」は、英三郎の没後も生前と同じように「渋谷駅」で飼い主を待ち続け、その姿が多くの人々に感動を与えた。「ハチ」は晩年、有名になってから「忠犬ハチ公」と呼ばれるようになり、1934(昭和9)年に「渋谷駅」の改札口近くに銅像が建てられた。1935(昭和10)年に亡くなったハチの遺体は剥製にされ、上野の「国立科学博物館」で展示されている。【画像は昭和戦前期】

初代の銅像は戦時中の金属類回収令により供出され、現在のものは1948(昭和23)年に再建された二代目となる。「ハチ公像」は広場の中で移動をくりかえし、1989(平成元)年に現在の場所と向きに移設された。

「渋谷駅」のターミナルデパート「東横百貨店」 MAP __

1934(昭和9)年、関東初の私鉄直営ターミナルデパートとなる「東横百貨店」が誕生した。「渋谷川」をまたぐ格好で建設され、狭小用地ならではの工夫が凝らされた。東京横浜電鉄渋谷線(現・東急東横線)の駅舎は百貨店の2階に含まれ、ホームは頭端式となった。その後、1938(昭和13)年には山手線の西側に3階建ての「玉電ビル」が建設され、周辺の開発が続々と進んでいった。【画像は1934(昭和9)年】

「東横百貨店」は戦後に「東急百貨店 東横店東館」となった。その後、「渋谷駅周辺開発プロジェクト」に伴い、2013(平成25)年に営業を終了、その後解体された。跡地では、2015(平成27)年に、地下の「渋谷川」の流路が変更されたほか、2019(令和元)年に「東口地下広場」(写真)の一部供用が開始となった。現在は地上の「東口駅前広場」の整備が進められている。

「東京高速鉄道」の「渋谷駅」が開業 MAP __

現在の東京メトロ銀座線の「渋谷駅」・「新橋駅」間の路線は、「東京高速鉄道」(現「東京メトロ」)が1939(昭和14)年に建設した。手前の「青山六丁目駅」(現「表参道駅」)までは地下駅だったが、「渋谷川」の谷地に位置する渋谷では、「宮益坂」付近で地上に出て高架線を通る路線となり、山手線を越えた西側に建つ「玉電ビル」の3階に駅が置かれた。右奥の大きい建物は「東横百貨店」。【画像は昭和戦前期】

写真は2017(平成29)年に撮影した「渋谷駅周辺開発プロジェクト」の様子。「東急百貨店 東横店東館」(旧「東横百貨店」)は解体が終わっている。東京メトロ銀座線の高架上では、駅移設のための工事が始まっている。【画像は2017(平成29)年】

写真は2021(令和3)年時点での「渋谷駅周辺開発プロジェクト」の様子。東京メトロ銀座線「渋谷駅」は2020(令和2)年に高架上の新駅へ移設された。左の高層ビルは2019(令和元)年、東急東横線「渋谷駅」の地上駅跡地(「国道246号」より北側部分)に開業した「渋谷スクランブルスクエア 東棟」。 MAP __(銀座線渋谷駅)MAP __(渋谷スクランブルスクエア 東棟)【画像は2021(令和3)年】


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