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変貌する西新宿、都内有数の高層ビル街の形成

「淀橋浄水場」跡地は副都心として開発され、「京王プラザホテル」の竣工を皮切りに高層ビル群が建設、都内有数の摩天楼が誕生した。


戦後の開発で姿を消した「十二社池」

角筈村(現・西新宿)の地名「十二社(じゅうにそう)」は「熊野神社」に由来する。「熊野神社」は室町時代の1403(応永10)年、「中野長者」と呼ばれた鈴木九郎が、故郷・紀州の「熊野三山」の「十二所権現」を祀ったことに始まるといわれる。江戸期には「熊野十二所権現社」と呼ばれ、1606(慶長11)年には境内西側に隣接する場所に農業用のため池が作られた。江戸中期以降、この池は「十二社池(じゅうにそうのいけ)」と呼ばれ、多くの茶屋も立地する江戸西郊の景勝地として賑わい、歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれた。
MAP __(十二社熊野神社)

写真は明治後期の「十二社池」。明治期以後は花街として発展、最盛期には料亭・茶屋が約100軒、芸妓を約300名擁し、池では屋形船や釣りなども楽しむことができた。
MAP __(十二社池跡)【画像は明治後期】

「十二社池」は周辺の開発や水質の悪化から、1968(昭和43)年に完全に埋め立てられた。写真のビルの左の道のくぼみは「十二社池」の跡地の一部となる。右の道路は「十二社通り」で、写真奥へ進むと右手に「熊野神社」がある。

西口に人の流れを生み出した「専売局」の煙草工場 MAP __

1910(明治43)年、「専売局」のたばこ工場が銀座から淀橋へ移転し操業を開始すると、多くの雇用と人の流れを生み出し、新たな活気をもたらした。工員たちの通勤のために「新宿駅」の乗降客も増え、煙草の運搬のために貨物の取扱量も急増、人と物の流れに大きな影響を与えた。

「関東大震災」後、「専売局 淀橋工場」は震災復旧や敷地不足解消といった目的に加え、「新宿駅」の西口駅前発展のための要請もあったことから移転を決定。1937(昭和12)年に「品川埋立地」へ移転となった。また、この頃から「淀橋浄水場」の移転も検討されていたことから、1934(昭和9)年に「新宿駅付近広場及街路」の都市計画が決定され、戦後の西新宿開発の端緒となった。

写真は大正期の「専売局 淀橋工場」の本館。当時、「新宿駅」の西側は「甲州街道」と「青梅街道」以外は主要な道がなかったため、「専売局 淀橋工場」の本館は「青梅街道」を正面として建てられていた。【画像は大正期】

写真は「専売局 淀橋工場」の本館跡地。旧「青梅街道」沿いが正面であった。現在の「小田急ハルク」の建物の一部が「専売局 淀橋工場」の本館跡地にかかっている。

かつての「専売局 淀橋工場」の広大な敷地は、現在の「新宿西口駅前広場」一帯となる。現在「新宿駅」周辺では、「新宿グランドターミナル」の整備が2021(令和3)年から2047年までの予定で行われており、「新宿西口駅前広場」は人中心の駅前広場へ再編される予定となっている。

地上を走る京王線の電車とランドマークだったガスタンク MAP __

「甲州街道」を走っていた京王線は駅ビルの完成に伴い、新宿~初台間を1963(昭和38)年に地下化している。写真は地下化前に撮影されたもので、電車の背後に見えるのは1912(明治45)年に建設された「東京ガス」のガスタンク。明治時代の「新宿駅」周辺は、広大な用地が確保できる余裕があったため、多くの工業系施設が建設されていた。【画像は1962(昭和37)年頃】

ガスタンクは1990(平成2)年に取り壊され、跡地には「東京ガス」の「新宿パークタワー」(正面の3棟からなる高層ビル)が完成した。

副都心計画の一環で誕生した「新宿中央公園」 MAP __

「新宿中央公園」は、1968(昭和43)年に新宿副都心計画の一事業として開園。新宿区立の公園の中では最大の面積の都市公園となっている。写真は「中央広場」から「新宿駅」西口方面を望んだもので、まだ高層ビルは建設されていない。噴水池は直径約21mの正円形であった。江戸時代には「熊野神社」の境内であり、整備前には「六桜社」(現「コニカミノルタ」)の工場や「淀橋浄水場」の一部も含まれていた。【画像は1968(昭和43)年】

写真は、同地点を撮影したもの。噴水は無くなっているが、変わらず都心のオアシスとして親しまれている。春には新宿区の姉妹都市・長野県伊那市の「高遠コヒガンサクラ」が満開になり、花見客で賑わう。

西新宿初の高層ビルとして完成した「京王プラザホテル」 MAP __

西新宿を副都心とする構想が持ち上がったのは、1960(昭和35)年のこと。1971(昭和46)年に竣工した「京王プラザホテル」は、初めて新宿に誕生した高層ビルで、完成当時は日本で一番高いビルであった。【画像は1970(昭和45)年】

構造技術の進化によって高層ビルの建設が可能となり、西新宿には次々と高層ビルが竣工していった。右から2番目の高層ビルが「京王プラザホテル」。

「都庁」の移転によって、新宿が都政の中心に MAP __

「東京都庁舎」は有楽町におかれていたが、副都心計画の一環として、1985(昭和60)年に西新宿への移転が決まった。コンペティションが催され、審査の結果、建築家・丹下健三氏が設計者に選ばれた。1991(平成3)年に竣工し、高さは約243m。竣工当時、国内でもっとも高いビルだった。2つの塔を備えた「都庁舎」は遠方からも目を引き、副都心のシンボルになった。【画像は1991(平成3)年】

写真左が「東京都庁舎」、右が「東京都庁第二本庁舎」。「東京都庁舎」の完成後も周辺では高層ビルの建設は続き、西新宿は都内でも有数の高層ビルが建ち並ぶエリアとなった。


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