「中山道」(1716(享保元)年までは「中仙道」とも表記、通称は「木曽街道」など)は、江戸開府前年の1602(慶長7)年、徳川家康の命で成立した街道。さらに前年の1601(慶長6)年に成立した「東海道」と同様に江戸と京を結んでおり、海沿いを経由する「東海道」に対して、内陸を経由する街道であった。「板橋宿」は、「中山道」の最初の宿場町として置かれたもので、江戸の出入口、「江戸四宿」の一つとして繁栄した。京側より「上宿」(現・本町周辺)、「仲宿」(現・仲宿周辺)、「平尾宿」(現・板橋一丁目周辺)からなり、それぞれ名主が置かれていた。
鎌倉時代末期の『延慶本平家物語』に、1180(治承4)年、源頼朝が「武蔵国豊島ノ上滝野川ノ板橋」に布陣したことが著されていることから、「板橋」の地名は、平安時代、遅くとも鎌倉時代にはあった。地名の由来は「石神井(しゃくじい)川」に架けられていた小橋ともいわれる。江戸期になると「板橋宿」となり、多くの旅人や江戸庶民が訪れる賑わいの地となり、地域の中心地となった。1889(明治22)年の「町村制」施行により「板橋町」となり、1932(昭和7)年に東京市へ編入されると区名にも採用され、「板橋区」が誕生した。