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博覧会と公園

名古屋では折々に大規模な博覧会が開かれ、街や産業、交通の発展に大きく寄与した。博覧会を機に、会場周辺は開発・整備され、美しい公園や勢いのある商業地・工場地帯などへ変化していった。また、公園は市民の憩いの場となり、街にやすらぎを与えた。


約263万人が来場した「第十回関西府県連合共進会」 MAP __

1910(明治43)年3~6月、「鶴舞(つるま)公園」で開催された「第十回関西府県連合共進会」には、約263万人の入場者が訪れた。共進会とは、工業製品などを展覧して、品評・審査するもので、このときは約13万点の出品物が並び、大規模な開催となった。「当地の製品を広く世間に知らしめ、モノづくりの発展に資する」という目的通り、名古屋市の産業の発展にも大きく寄与した。【画像は1910(明治43)年】

会場の「鶴舞公園」はこの博覧会のために整備され、以降市民の憩いの場となった。博覧会で造られた「奏楽堂」は、1934(昭和9)年に老朽化などを理由に取り壊され、その後、異なるデザインで建て直されていたが、1997(平成9)年に築造当時の姿に復元された。

「御大典奉祝名古屋博覧会」の際に開設された「鶴舞公園駅」 MAP __

1928(昭和3)年、昭和天皇の即位記念のほか生産の改善・商勢の拡大を目的として、「名古屋勧業協会」が主催する「御大典奉祝名古屋博覧会」が行われ、約3カ月の会期中、約194万人の入場者を集めた。会場は「鶴舞公園」が使用され、会期中、公園前を通る中央本線には仮駅「鶴舞公園駅」(写真)も開設された。この駅舎は、現在の「公園口」の「鶴舞公園」側の出入口付近にあった。【画像は1928(昭和3)年】

1937(昭和12)年、かつて「鶴舞公園駅」の仮駅があった場所に「鶴舞駅」が開業し、現在に至る。写真は現在の「鶴舞駅」。「鶴舞」の部分の公園名の読みは「つるま」、駅名の読みは「つるまい」となっている。

国内初の国際博覧会「名古屋汎太平洋平和博覧会」

「名古屋汎太平洋平和博覧会」は1934(昭和9)年に市会で開催が発案され、1937(昭和12)年に開催された国内初の国際博覧会。1937(昭和12)年は「名古屋港」の築港30周年の節目の年であったほか、「名古屋駅」の新築移転、「桜通」の開通、「東山動物園」「東山植物園」の開園、「名古屋観光ホテル」の開業など都市施設の開設・拡充が予定されていたこともあり、名古屋市は名古屋を全国・全世界へ宣伝するとともに、国内外の産業・文化の紹介、産業の振興、平和親善を主な目的として開催された。会場は現在の「港区役所」付近の約15万坪(約50ha)で、南北に貫く形で都市計画道路(現「江川線」)が建設され、道路を境に「東会場」と「西会場」に分かれていた。メインエントランスとなる「中東門」「中西門」は現在の名古屋高速「港明出入口」がある交差点の場所に置かれた。参加国は29か国、会期は3月~5月の78日間で、480万人を超える入場者があった。閉会後、跡地は工業用地、公共用地などに利用された。
MAP __(中東門・中西門跡地)

写真は「東会場」の「貿易館」。跡地には1943(昭和18)年に「名古屋市電」の車庫「港電車運輸事務所」が開設された。市電廃止に伴い、1969(昭和44)年に閉鎖、現在は「名古屋市営バス港明営業所」となっている。「東会場」の跡地は工場や公共用地となり、1943(昭和18)年には、一画に「港北公園」も開園した。
MAP __(貿易館跡地)【画像は1937(昭和12)年】

「港電車運輸事務所」は、市電廃止に伴い1969(昭和44)年に閉鎖、現在は「名古屋市営バス港明営業所」(写真左)となっている。1943(昭和18)年に「港北公園」となった場所には、1982(昭和57)年に「港区役所」が新築・移転してきており、現在は港区の行政の中心地となった。

写真は「西会場」の運河沿いに置かれていた「観光館」。閉会後の1939(昭和14)年、「西会場」の跡地を含む一帯は「東邦瓦斯」のガス工場となった。長く同社の主力工場として名古屋の発展を支えたが、1998(平成10)年に廃止。跡地は再開発され、2018(平成30)年にスマートタウン「みなとアクルス」がまちびらきとなり、ショッピングセンターの「三井ショッピングパーク ららぽーと名古屋みなとアクルス」もオープンとなった。
MAP __(観光館跡地)【画像は1937(昭和12)年】

「観光館」があった場所は「ららぽーと名古屋みなとアクルス」の立体駐車場になっている。

会場の南側には「堀川」と「中川運河」を結ぶ「港北運河」があり、道路(現「江川線」)には「平和橋」が架けられ、橋の下には東西の会場を繋ぐ通路も設けられた。写真は現在の「平和橋」で、「名古屋汎太平洋平和博覧会」の現存する遺構としては唯一のものといわれる。「平和橋」が架けられていた「港北運河」の東側部分は埋め立てられ、1986(昭和61)年に「港北公園」の一部となった。
MAP __

会場へのアクセス手段として、新設の道路(現「江川線」)に路面電車の市電野立築地口線が建設されたほか、会場の東側を通っていた既存の市電築港線も活用された。さらに、会場のすぐ西を通る貨物線の名古屋港線には、臨時駅「名古屋博覧会前駅」が設置され「名古屋駅」から直通する列車も運転された。写真は現在の名古屋港線で、「名古屋博覧会前駅」の跡地は現在の「ららぽーと名古屋みなとアクルス」の西側、写真中央あたりとなる。名古屋港線は近年は週3往復と運行本数が少なく、2024(令和6)年4月の廃止が決まっている。
MAP __(名古屋博覧会前駅跡地)


「鶴舞公園」の動物園が移転 1937(昭和12)年に「東山動物園」開園 MAP __

昭和前期の「東山動物園」

「東山動物園」の様子【画像は昭和前期】

名古屋の動物園は、1890(明治23)年に中区前津町で一般公開された、動物商・今泉七五郎の「浪越教育動物園」に始まる。動物園は1910(明治43)年に大須門前町に移転したが、後継者がいなかったことで、この動物たちが1917(大正6)年に名古屋市に寄贈された。

昭和前期の動物園の正門

動物園の正門【画像は昭和前期】

こうして誕生したのが「名古屋市立鶴舞公園附属動物園」で、1928(昭和3)年の「御大典奉祝名古屋博覧会」の際には、大いに来場者を集めた。1929(昭和4)年に「名古屋市立動物園」と改称したものの、園地が手狭だったため、新たな場所に動物園を建設、動物園の移転が決まった。そして、1937(昭和12)年、現在の千種区に誕生したのが「東山動物園」になる。新しい動物園の面積は、鶴舞時代の約13倍。名古屋の新しい名所となって市民に親しまれた。

現在の「東山動植物園」の正門

現在の「東山動植物園」の正門

現在は植物園と合わせて、「東山動植物園」となっている。約60haの広さを誇る園内には、動物園、植物園のほか、遊園地や「東山スカイタワー」がある。



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