「大宮八幡宮」は、「前九年の役」で奥州を平定した清和源氏の武将・源頼義が1063(康平6)年に「石清水八幡宮」の御分霊を得て神社を建て、その子の源義家が「後三年の役」ののちに社殿を修築したと伝わる。写真は大正期の鳥居と参道で、奥には「本殿」が見える。1969(昭和44)年の発掘調査で、境内の北端に続く旧境内地から弥生時代の祭祀遺跡や族長の住居跡が発掘され、太古からの聖域であったことが判明している。
東京都心部と多摩地域を結ぶ交通の大動脈であるJR中央線と「青梅街道」が通る高円寺・中野エリア。江戸時代に徳川幕府の「犬小屋」「桃園」があった場所には明治中期、「甲武鉄道」の「中野駅」が置かれた。この鉄道の開通後、「電信第一連隊」など陸軍施設が次々と設置された。また、「蚕糸試験場」など国・東京府(現・東京都)の施設が開設され、やがて「高千穂高等商業学校」といった教育施設もこの地に校地を設けるようになった。大正時代には高円寺にも駅が設置され、住宅地の発展が進んでいく。「太平洋戦争」後、高円寺はフォーク・ロックといった音楽が盛んな街としても発展、中野は国内外から多くの人が訪れる『サブカルチャーの聖地』としても知られるようになった。