戦前期の「陸軍通信学校」
「中野駅」付近には明治期から昭和戦前期にかけて、時代の変化とともにさまざまな陸軍施設が置かれた。その中で現在、最も有名なのは「陸軍中野学校」であろう。当時は秘匿であったが、戦後、スパイ養成学校として映画などの題材となった。しかし、この学校があった期間は短く、1939(昭和14)年から1945(昭和20)年に群馬県へ疎開するまでの約6年間だけとなる。
「中野駅」周辺は江戸時代に徳川幕府によって設けられた「鷹場」や「犬小屋」の跡地であり、広大な雑木林や桑畑が広がっていた。「中野駅」駅前が発展するのは、1889(明治22)年に「甲武鉄道」(現・JR中央線)の開通に伴い駅が開設されてからのことで、当時の出入口は現在の南口側だけであった。北口側が開発されたのは、1897(明治30)年に「陸軍鉄道大隊」が転営してからのこと。軍人やその家族が住民として増えたことにより北口の繁華街が発展していった。「陸軍鉄道大隊」は、軍事的な研究・活動ばかりでなく、民間の鉄道敷設にも活躍。近くでは西武村山線(現・西武新宿線)高田馬場~東村山間の工事を担ったことが知られている。
「気象神社」は、戦後の1948(昭和23)年、「高円寺氷川神社」に遷座されており、現在は快晴祈願や、気象予報士の合格祈願のために参拝する人も多い。
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「気象庁 気象研究所」の跡地に整備された「杉並区立馬橋公園」。
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明治後期、中野から馬橋・阿佐谷・天沼方面に向かって、「鉄道隊」「電信隊」のための細長い演習地も設けられた。その途中となる馬橋には、1925(大正15)年に「陸軍通信学校」が移転してきており、この学校が相模原に移転すると、代わって「陸軍気象部」が移転してきた。構内には1944(昭和19)年に「気象神社」が建立され、気象観測員が予報的中の祈願をしたという。この施設は戦後「気象庁 気象研究所」となり引き続き使用されたが、1980(昭和55)年に茨城県つくば市へ移転。跡地には「杉並区立馬橋公園」が整備され1985(昭和60)年に開園した。