「香里遊園地」は、現在は寝屋川市となっている友呂岐(ともろぎ)村大字郡(こおり)、「友呂岐神社」付近にあった。「京阪電気鉄道」(以下「京阪電鉄」)は鉄道の建設にあわせ、沿線に集客施設が必要と考え、友呂岐村の丘陵地を買収し「香里遊園地」の整備を進めた。鉄道は1910(明治43)年の春に開通となったが、「香里遊園地」は未完成のまま開園となり、見どころも少なく来場客を集めるには至らなかった。このため、同年秋の行楽期に、東京の「両国国技館」で人気となっていた「菊人形」を開催すると好評を得たため、翌年も開催となった。写真は「香里遊園地」内の「菊花壇」入口の様子。しかし、会社全体の経営が厳しくなったこともあり、「香里遊園地」の土地を住宅地とすることになり、1912(明治45)年に閉園、土地は売却された。
京阪電鉄の開通に伴い「香里遊園地(香里園)」が開園し「菊人形」が開催されたが、すぐ住宅地に転用。「菊人形」は枚方に場所を移した。遊園地の跡地の一部は、地域の安全を祈願し「成田山大阪別院明王院」となった。