1920(大正9)年、「北大阪電気鉄道」は、鉄道の開業に先駆けて、「千里山花壇」を開園した。四季折々の花を楽しむための施設で、花壇を中心に園路などが設けられた。「千里山花壇」の場所は現在の「関西大学 千里山キャンパス」の南側部分にあたり、正門は現在の「高中正門」の場所にあった。翌1921(大正10)年、鉄道の延伸開通にあわせ、正門前に「花壇前駅」が開設された。
北大阪電気鉄道(現・阪急千里線)沿線には、住宅地が開発されるとともに大学の誘致、遊園地の建設も行われた。大阪市内の上福島に「福島学舎」があった「関西大学」は、広い土地を求めて「千里丘陵」に移転した。また、「北大阪電気鉄道株式会社」は、「千里山花壇」(のちの「千里山遊園」)を開園し行楽客を集めた。閉園後、「関西大学」が跡地を買収、現在は「関西大学 千里山キャンパス」の南側部分となっている。