地面師詐欺事件に関わった司法書士の責任に関する最高裁判決
このコラムの2018年5月号で不動産売買に関する「なりすまし」(偽者)の問題を取り上げました。その後、土地の所有者が「なりすまし」であったという地面師詐欺事案について、登記申請の委任を受けた司法書士の注意義務違反の有無を判断する際の考え方を示した最高裁判所の判決が2020(令和2)年3月6日に出されました。今回はその判決について、事案とともに取り上げます。
1 事案の概要
(1) 登場人物
Xは不動産会社、Yは司法書士、Pは元弁護士でO弁護士の事務所の事務員です。
Aは東京都渋谷区に所在する484.22㎡の土地(以下「本件土地」といいます。)の登記簿上の所有名義人で中国籍の者、QはAの代理人を装っていた者、RはAを装っていた者です。
(2) 売買の合意
平成27年8月頃、Q、B、X及びCは、本件土地について、AからBに売り渡し(第1売買)、BからXに対し代金6億5000万円で売り渡し(第2売買)、更にXからCに対し代金6億8100万円で売り渡すものとし(第3売買)、契約書の調印及び代金決済を同年9月10日に行うことを合意しました。また、B、X及びCは、第2売買及び第3売買による所有権の移転登記については、中間省略登記の方法によりBからCに対して直接行うことを合意しました。
(3) 登記手続の依頼
AからBへの所有権移転登記の申請(前件申請)については、O弁護士が委任を受けるものとされ、BからCへの移転登記の申請(後件申請)は、Y司法書士が、B及びCから報酬13万円で委任を受けることとなりました。その際、Y司法書士は、前件申請が権限あるものによる申請であるかを調査するような具体的指示は受けていませんでした。
(4) 事前の会合
平成27年9月7日、O弁護士の事務所において、前件申請及び後件申請に必要な書類を確認するための会合が開かれ、Aを装うR、O弁護士事務所のP事務員、Xの代表者、Y司法書士、Cの担当者等が出席しました。Y司法書士はCから依頼を受けてこの会合に出席しましたが、O弁護士自身は出席していませんでした。
この会合では、Aを装うRが述べたAの生年月日が、事前に準備されていた印鑑証明書記載の生年月日と異なっていたり、印鑑証明書のコピーをとったところ、通常であれば写し出されるはずの「複製」との文字を確認することができなかった等の問題がありましたが、決済の日までに新たな印鑑証明書を用意するという話になり、出席者は特に異議を述べませんでした。
(5) 契約書調印と代金決済
平成27年9月10日、A代理人を装うQ、P事務員、Bの担当者、Xの代表者、Cの代表者及びY司法書士等は、第1売買、第2売買及び第3売買について契約書の調印等を行い、AからBへの移転登記についての前件申請及びBからCへの移転登記についての後件申請に用いるべき書面を確認しました。その中には、前述の事前会合で問題となった「複製」の文字が写し出てこない印鑑証明書がそのまま含まれていましたが、同日、XやCの代表者は、この点を改めて指摘することはありませんでした。
そして、第2売買及び第3売買についての代金決済がなされ、Xは、第2売買の代金から測量費としてBが負担することとなっていた200万円を差し引いた6億4800万円をO弁護士の預り口銀行口座に振り込みました。これに先立って、CからXに対し、第3売買の代金から上記200万円を差し引いた6億7900万円の支払がなされています。
P事務員は、同日中に、振り込まれた代金のうち3億9500万円をBに、1億円を地面師と思われる人物に、7000万円をA代理人と称したQに、3600万円をPが代表を務める株式会社に、200万円を法律事務所の口座に、2000万円をある人物に振り込む手続をし、1500万円を現金で引き出しています。
(6) 登記申請とその却下
Y司法書士は、同日、O弁護士名義で作成された前件申請の書類及び自ら作成した後件申請の書類を、問題となった印鑑証明書を含む添付書類とともにそれらの内容を点検した上で東京法務局渋谷出張所に提出しました。
しかしながら、その後、上記出張所から、前件申請に添付されたAの印鑑証明書が偽造であることが判明したとの説明を受け、同年10月16日、後件申請を取り下げざるを得ないことになります。そして、前件申請については、権限を有しない者による申請であるとして却下されました。
(7) Xの被った損害と民事訴訟の提起
結局、第3売買の買主Cは、本件土地の所有権移転登記を受けることができず、第3売買をXの債務不履行を理由に解除したため、XはCに対し受領した代金に違約金を加えた7億4710万円を支払わなければならないこととなります。
これに対し、XがO弁護士の預かり金口座に振り込んだ6億4800万円は、Xに返還されませんでしたので、Xは前件申請の名義人であったO弁護士と後件申請を行ったY司法書士を被告として、弁護士や司法書士としての注意義務違反を理由に6億4800万円の損害賠償の支払いを求める民事訴訟を東京地方裁判所に提起したのです。
2 第一審判決(東京地方裁判所平成29年11月14日)
第一審判決は、O弁護士に対する請求を全て認容しました。P事務員は、本件の登記代理事務の全てを任せられたO弁護士の履行補助者であり、印鑑証明書の真偽を調査確認する義務に違反するPの行為はO弁護士の行為と同視できることを理由としています。O弁護士に対する請求については、この第一審判決が確定しています。
これに対し、Y司法書士に対する請求は全て棄却されました。後件申請の委任を受けたY司法書士は、Aの印鑑証明書等の前件申請に必要な書類については、原則として、書類が形式的に整っているかを確認する義務を負うにとどまり、委任者との合意がある場合や特段の事情のない限り、その真偽についての確認義務を負わないことをその理由としています。
3 控訴審判決(東京高等裁判所平成30年9月19日)
Xは、Y司法書士についての第一審判決に不服であり、この点について控訴しました。
控訴審判決は、Y司法書士の注意義務違反を認め、X自身の過失も考慮して、当初の請求金額の半分である3億2400万円について請求を認容しました。その理由の骨子は次のとおりです。
・後件申請の委任を受けた司法書士は、前件申請について、登記が実現しない可能性を疑わせる事由が明らかになった場合には、前件申請に関する事項も含めて更に調査を行い、委任者のみならず、登記の実現に重大な利害を有する者に対し、上記事由についての調査結果の説明、当該登記に係る取引の代金決済の中止等の勧告、勧告に応じない場合の辞任の可能性の告知等をすべき注意義務を負っている。
・本件においては、印鑑証明書の生年月日が食い違っており、これらのコピーを取ったところ、「複製」の文字を確認することができなかった等の事実は、申請人となるべき者以外の者による申請であることを強く疑わせる。
・Y司法書士は、前件申請の代理人であるO弁護士と直接接触できていないことも、前件申請に問題があることの重大な兆候である。
・そうすると、Y司法書士は、上記事実を指摘するにとどまらず、更に調査して、後件申請が実現されない危険があること等を警告し、代金決済の中止等を勧告すべき注意義務を負っていた。
4 最高裁判所判決(令和2年3月6日)
Y司法書士は、控訴審判決に不服があり、上告しましたが、上告審である最高裁判所は、控訴審判決の判断を是認できないとして、その判決を破棄し、更に審理を尽くさせるために、本件を原審に差し戻しました。その理由の骨子は、次のとおりですが、Y司法書士の委任者は、B及びCであり、Xではない点を問題としています。
・司法書士は、申請人となるべき者以外の者による申請であること等を疑うべき相当な事由が存在する場合には、その事由についての注意喚起を始めとする適切な措置をとるべき義務を負う。
・しかし、その義務は、委任契約によって定まるものであり、委任者以外の第三者との関係で同様の判断をすることはできない。
・もっとも、司法書士は、その職務の内容や職責等の公益性と不動産登記制度の目的内容に照らすと、委任者以外の第三者が当該登記に係る権利の得喪又は移転について重要かつ客観的な利害を有し、このことが当該司法書士に認識可能な場合において、当該第三者が当該司法書士から一定の注意喚起等を受けられるという正当な期待を有しているときは、上記のような注意喚起を始めとする適切な措置をとるべき義務を負う。
・これらの義務の存否や範囲及び程度を判断するに当たっては、特に、疑いの程度や、当該第三者の不動産取引に関する知識や経験の程度、当該第三者の利益を保護する他の資格者代理人あるいは不動産仲介業者等の関与の有無及び態様等をも十分に検討し、これら諸般の事情を総合考慮して、当該司法書士の役割の内容や関与の程度等に応じて判断するのが相当であるが、控訴審判決では、その点についての検討がなされていない。
この最高裁判決は、なりすましの事例について、司法書士の専門家責任について、委任者に対する場合と第三者に対する場合とに分けるなどして、初めて具体的な考え方を示したものであり、実務上も重要な意義を有するものと考えられます。今後、差戻審で中間省略登記の中間者であるXが、最高裁判決が示した上記の要件に該当するかについて判断されるものと思われます。
5 追記
本件については、昨年12月に、別の詐欺事件で服役中の地面師グループの者が、事件の首謀者や関与者として逮捕されたとの報道がありました。その一人はA代理人を装っていたQであり、もう一人はP事務員から1億円を受け取った者であると思われます。本件に登場する元弁護士のP事務員は本件事件後に亡くなったようですが、これらの地面師グループの一員であったと考えられています。