移転登記をしないことによる売主の不利益と売主の買主に対する登記引取請求
今回は、不動産を売却したにもかかわらず、買主が所有権移転登記をしない場合に、売主はどのような不利益を受けるのか、買主に対して、移転登記をするよう請求できるのかについて検討します。
設例
私は、地方に別荘を持っていましたが、建物は老朽化し、最近は使うこともなくなったことから売却しました。売買代金を支払ってもらい、土地建物を買主に引き渡し、移転登記に必要な書類を渡したにもかかわらず、買主は移転登記手続を行おうとせず、依然として、登記名義は私のままです。このままの状態では、別荘の所有権はまだ私にあるということになるのでしょうか。登記名義が私のままであることによって、何か不利益を受けることはあるのでしょうか。裁判を起こして、買主に移転登記をするよう請求することはできるのでしょうか。
1 所有権の所在と移転登記をする意味
2015年2月号「不動産売買と登記」で触れましたが、民法176条は「物権の設定及び移転は、当事者の意思表示のみによって、その効力を生ずる。」と定めており、登記名義を移転させなくとも、合意があれば不動産の所有権は移転することになります。登記名義を備えておくことの意味は、あなたが仮に二重に売買をしたとしても、買主が登記を備えていれば、他の買主に所有権を対抗することができるという点にあります。不動産売買がなされたにも関わらず登記を移転していなければ、買主は所有権を対抗できなくなるリスクを負うことになりますが、売主が何らかの不利益を被るということはあるのでしょうか。
2 売主が被る不利益
(1) 売主は、売買代金を受領しているのであれば、売買契約により取得した債権について既に満足を得ています。また、土地建物を引き渡し、移転登記に必要な書類も交付しているのであれば、売主としての債務は全て履行済みであり、契約を解除されるということもありません。ただ、登記名義が自らのもとに残ることによって、次のような不利益を被ることがあります。
(2) 固定資産税・都市計画税の負担
地方税法は、「固定資産税は、固定資産の所有者に課する」とし、この所有者とは、登記されている土地又は家屋については、登記簿に所有者として登記されている者と規定しています。登記されている者が死亡している場合には、土地又は建物を現に所有している者とされているため、相続登記が未了であっても、相続人に固定資産税が課されることになります。しかし、売買契約に基づき所有権が移転したにもかかわらず、移転登記が未了の場合について、「現に所有している者」に固定資産税を課すという規定はないため、この場合は登記名義人が課税されることになります。土地建物に課される都市計画税も固定資産税の賦課徴収の例によるとされています。固定資産税や都市計画税は、本来、土地建物の真の所有者が負担すべきものですので、課税された売主は買主に対して、固定資産税・都市計画税分を支払うよう請求することはできますが、登記名義を移転していない場合には、登記名義人が市区町村から固定資産税・都市計画税を課されるという不利益を被ることになります。
(3) 土地工作物責任
民法717条は、不法行為責任として、土地工作物の設置又は保存に瑕疵があることによって他人に損害を生じたときは、工作物の占有者や所有者に賠償責任を負わせています。建物は代表的な土地工作物ですが、建物が売却されたにもかかわらず、登記がまだ移転されていない場合に売主買主のいずれが工作物責任の「所有者」にあたるかについては、議論があります。
この点、不法行為の被害者との関係では、登記の対抗力は問題とならないので、登記が移転していなくとも、所有権が移転していれば譲受人に所有者としての工作物責任が発生することについては争いのないところです。ただし、登記名義が残っている譲渡人の責任については、見解の分かれるところです。
不法行為の問題については、登記ではなく実体的な権利関係が基準となるとして、もっぱら新所有者である譲受人のみが責任を負うとの見解と被害者からの責任追及の相手方を明確化すべきとして登記名義人である譲渡人に対しても責任を追及できるとする見解もあります。被害者にとって、売主買主のみの間で交わされる売買契約による所有権移転の事実を把握することは難しい面があり、登記名義人である譲渡人に対しても責任を追及できるという見解も有力です。
また、法的な責任が否定されたとしても、登記名義人であることによって、訴訟の被告とされるなどの事実上の不利益を被ることも考えられます。
3 売主は買主に対して登記の引取を請求できるか
(1) 当初の考え方
当初、判例は「不動産売買の場合における登記請求権は、買主たる登記権利者のみこれを有し、売主たる登記義務者はこれを有せざるものとす」として、売主の買主に対する登記引取請求を認めていませんでした(東京控判昭和6年2月14日)。
(2) 当初の考え方に対する批判
確かに、売買契約からは、買主の売主に対する登記請求権、売主の買主に対する登記義務が発生します。しかし、この実体法上の権利義務と登記手続上の権利者、義務者を常に一致させなければならない必然性はありません。また、2で説明したように、登記名義が残ることにより、売主が固定資産税などの税金を課されたり、工作物責任などの不法行為上の紛争に巻き込まれるなどの不利益を被るリスクもあります。債務の目的が金銭であれば、供託という手段をとることができますが、不動産の場合には自ら債務を免れる方法がありません。また、登記名義人が単独で登記を相手方に移転させる手段がないと、相手方の協力が得られない限り登記名義人であることにより受ける不利益を回避できないことになってしまいます。
(3) 登記引取請求を認める判例
上記のような批判を受けて、昭和26年11月6日東京地裁判決は、
・不動産登記は物権変動の公示方法であるから、登記と現在の権利関係とを合致させることは登記の理想である。
・実体上の権利関係に符合しない登記があるときは、権利変動の当事者は不利益を被るものといわなければならない。
・権利がないにもかかわらず権利ありとして登記されている者は、その登記を是正することによって直接利益を受けるものということができ、登記をすることによって登記の記載上権利を失うに至る者もまた登記権利者に当ると解すべき
として、売主の買主に対する登記引取請求を認めるに至りました。
さらに、昭和36年11月24日判決は、
・真実の権利関係に合致しない登記があるときは、その登記の当事者の一方は他の当事者に対し、いずれも登記をして真実に合致せしめることを内容とする登記請求権を有するとともに、他の当事者は右登記請求に応じて登記を真実に合致せしめることに協力する義務を負うものというべき
として、売買契約を解除した事例において、買主から売主に対する登記引取請求を認めています。
(4) まとめ
このような判例の考え方によれば、設例においても、売主は、買主に対し登記引取請求権を有しており、買主が任意に移転登記手続をしない場合には、訴訟を提起して移転登記をするよう求めることができます。