不動産売買に伴う訴え提起前の和解の利用~明渡しを確実とするための方策~
不動産を自ら使用しようとしている人に売却する場合、土地や建物を占有者がない状態にして引き渡すのが通常です。ただし、事情により占有者に後日明け渡してもらうことを前提に売買契約やそれに基づく引渡しがなされることもあります。今回は、そのような場合に明渡しを確実とするための訴え提起前の和解という手続について取り上げます。
設例
Xは所有している分譲マンションの居室をAに賃貸しており、居室にはAが居住しています。Xはまとまった資金が必要となったため、居室を売却しようと考えていますが、賃借人がいる物件はなかなか高く売れません。XはAと交渉し、今年3月半ばまでに退去してもらうことで話がまとまりました。それを前提に、XはYとの間で今年3月末に引き渡す条件で売却の話を進め、話がまとまりそうです。しかし、そのような折、Aより、引越し先が見つからないので、4月末まで退去を待って欲しいとの連絡がありました。購入を検討しているYは、確実にAが退去してくれるのであれば、売買契約を締結してもよいと言ってくれています。確実に退去してもらうための方策はあるのでしょうか。
解説
1.確実に退去してもらうための方策
Aを強制的に退去させるためには、裁判所での強制執行の手続を執るしかありません。強制執行をするために必要となるのが債務名義です。債務名義の代表的なものが民事訴訟の判決です。ただし、判決を得るためには、民事訴訟を提起して、口頭弁論等での審理を経る必要がありますので、どうしても時間がかかります。そこで、時間をかけずに簡便に債務名義を取得する方策として利用されるのが、訴え提起前の和解の手続です。即決和解とも呼ばれています。2018年6月号「引き渡しの前に不動産売買の決済をするときの注意点」でも少し触れました。
2.訴え提起前の和解とは
民事訴訟法275条は訴え提起前の和解として「民事上の争いについては、当事者は、請求の趣旨及び原因並びに争いの実情を表示して、相手方の普通裁判籍の所在地を管轄する簡易裁判所に和解の申立てをすることができる。」と定めています。これは、裁判所が私人間の民事上の紛争に関与して和解による解決を図るものです。民事上の権利義務が確定されるため、民事訴訟の実質を有し、和解が調わない場合には、双方の申立てがあれば、訴訟に移行することとなります。
3.調停、公正証書との比較
話合いで解決する法的手続としては一般的に調停が利用されており、訴え提起前の和解は、あらかじめ裁判外で成立した示談契約を裁判上の和解とするために利用されることがほとんどです。したがって、裁判所は、和解のあっせんではなく、公証的役割を担うこととなります。
公証的役割を担う代表的なものとして公証役場で作成する公正証書があります。公正証書は、金銭の支払いを目的とするものであれば債務名義となりますが、土地や家屋の明渡しについては債務名義になりません。訴え提起前の和解は、和解の対象である債務の内容を問わないため、土地や家屋の明渡しの債務名義となるのです。
ちなみに公正証書の作成料は、最低でも5000円で金額があがれば高くなっていきますが、訴え提起前の和解にかかる印紙代は一律2000円と公正証書の作成料より安くなっています。
4.民事上の争いであることが必要
(1) 訴え提起前の和解は、民事上の紛争について申し立てることができ、刑事事件や公法上の争いについては申し立てることができません。また、離婚・離縁の訴えや認知の訴え、親子関係存否の訴えといった人事に関する紛争についても申し立てることができません(離婚や離縁については民事訴訟で和解することは可能です。)。家庭に関する争いは、家庭裁判所での家事調停により解決を図るのが望ましいとの考えに基づくものです。
(2) 「民事上の争い」との点に関し、将来予想される争いについて、あらかじめ当事者間で合意し、その合意内容を和解の内容とするために訴え提起前の和解を申し立てることができるかという問題があります。
この点、多くの判例が、現在の紛争がなくとも、和解申立て当時から予測ができる将来の紛争の発生の可能性が存する場合には、民事上の争いがあると解しています。
ただし、建物明渡しに関して何ら紛争がないのに、建物と敷地を高価に売却するのに必要であるとして成立した和解を無効とした判例(名古屋地裁昭46.9.14)や土地使用貸借契約を締結するにあたり、使用目的、貸与期間、当事者の権利義務、債務不履行があった場合の処理等を内容とする和解について、抽象的なおそれのみではいまだ将来予想される紛争があるとはいえないとして申立ての却下を是認した判例(大阪高裁昭59.4.23)もあります。
また、「民事上の争い」は、和解申立ての要件であって、一旦成立した和解の効力を左右すべき要件ではないとして、本来却下すべきものであっても、この要件がなかったことを理由に無効を主張することはできないとした判例(東京地裁昭42.3.6)もあります。
設例の場合は、一旦3月半ばに明け渡すとの話がまとまったにもかかわらず、それまでに明け渡すことができないと主張するにかわっており、XとAとの民事上の争いであることは明らかと思われます。
5.訴え提起前の和解の申立て
訴え提起前の和解は相手方の住所地を管轄する簡易裁判所に申し立てることになります。当事者の管轄合意があればその簡易裁判所にも管轄が生じます。
申立人は、申立にあたり、「請求の趣旨、原因及び争いの実情」を明らかにしなければならないとされています。その請求の趣旨、原因は訴状に記載される請求の趣旨、原因と同じものです。したがって、本来、請求の趣旨として「相手方は、申立人に対し、別紙物件目録記載の建物を明け渡せ」と具体的な請求の内容を記載しなければなりませんし、請求の原因についても請求を発生させる要件事実や法律的根拠を記載する必要があります。しかし、実際には、請求の趣旨には「別紙和解条項案記載のとおりの和解を求める」と記載され、請求の原因についても争いの実情とまとめられているものがほとんどです。
6.濫用的な事例
訴え提起前の和解については、かつて白紙委任状を用いた濫用的な事例も多く見られました。例えば、賃貸人が建物を賃貸するにあたり、賃借人から白紙委任状をとっておき、賃貸人が立退いてもらいたいと考えたときに、和解条項について賃借人と協議することもなく、白紙委任状に基づいて選任された賃借人の代理人とともに裁判所に出頭し、賃貸借契約の終了と明渡しを認める内容の訴え提起前の和解を成立させてしまうようなケースです。
このようなケースは代理人となる弁護士が関与することになりますので、成立した和解は、利益相反として弁護士法違反、双方代理として無効になるものと考えられます。ただし、判例等では、相手方が異議を述べないときは、完全な効力が生じ、その後弁護士法違反を理由に無効を主張できなくなるとされています。したがって、相手方は、自らの知らないところで訴え提起前の和解を成立させられてしまったことを知ったときは、速やかに自らの代理人になった弁護士や申立人に対し異議を唱え、和解無効の訴えを提起するなどの措置を講ずる必要があります。
7.訴え提起前の和解の成立と強制執行
訴え提起前の和解が成立したときは、裁判所で和解調書が作成されます。この和解調書は確定判決と同一の効力を有するものとされており、強制執行手続を執ることができる債務名義となります。
設例の場合、XがAを相手方として、マンションの居室を4月末までに明け渡すとの内容の訴え提起前の和解を成立させておけば、万が一、その時までにAが明渡しをしない場合には、直ちに明渡しの強制執行の手続を執ることができます。
和解の内容を賃貸借契約の終了に基づく明渡しとしておけば、その後XがYに建物を売却し所有権が移転した後であっても、Xは強制執行の申立てをすることができます。
和解の内容が所有権に基づく明渡しであれば、Yに所有権が移転した後はYが強制執行の申立てをすることが可能です。