手付による解除をめぐるトラブル
不動産の売買をするにあたって、買主から売主に対して手付という金銭が交付されることがあります。契約締結後も売主・買主ともに契約に定めたとおりに準備を行い、無事に売買契約の決済が完了すれば、手付が大きく問題になることはありません。もっとも、決済までの間に、相手方が「やはり契約を解除したい。」などと考えだした場合には、この手付が問題となります。今回は、この手付をめぐるトラブルについて検討しましょう。
事例
私が所有している土地の一つについて、大学時代の友人から、「今度考えている新規事業を行うために、この土地は最適だ。ぜひ売ってほしい。」と強く求められたため、平成27年1月○日にこの土地の売買契約を締結しました。土地の代金は5000万円と定められ、手付金として契約締結時に買主から500万円を受け取りました。代金の支払日と土地の引渡し日は、いずれも平成27年10月○日と定められました。
そして、今回売却する土地の上には、私が所有している建物が建っており、建物には賃借人が1名おりましたので、賃借人に退去してもらい、建物を取り壊したうえで買主に引き渡すことになりました。
平成27年9月○日、私は、土地を引き渡すために、土地上の建物の賃借人に立退き料50万円を支払い、賃貸借契約を合意解除して建物を明け渡してもらいました。その数日後の9月×日、買主から電話があり、買主は、「事業をするためにもっと良い土地を見つけました。手付の500万円は放棄しますので、契約を解除させてください。」と言っていました。買主の言うとおり、売買契約は解除されてしまうのでしょうか。
ここがポイント
1.手付とは
手付とは、契約を交わすときまたは、その後の代金の支払い時までに支払われる金銭のことを言います。売買契約締結時に売買代金の1割から2割ほどの金銭が交付されるのが一般的です。手付は、売買代金とは別の金銭ですが、通常は、売買代金に充当されるという取扱いがなされています。
手付には、契約が成立したことの証拠という意味で交付される証約手付、損害賠償額の予定としての手付などがあります。全ての手付は、証約手付としての性質を持っています。
そして、今回問題となるのは、以下にご説明する解約手付です。
2.解約手付とは
解約手付とは、本事例で言えば、買主が手付金500万円を放棄することで契約を解除でき、売主が手付の倍額である1000万円を買主に提供して契約を解除できるという機能を営む手付です。
売買契約では、買主から売主に手付が交付されていれば、その手付は、反対の事情がない限り、解約手付の性質を持っていると判断されます。
3.「履行に着手」するまでは契約を解除できる
このように、解約手付が交付されている契約では、契約違反がなくても、また、契約の目的物に瑕疵がある(詳しくは2014年9月号の「不動産売買のときに気をつけること~瑕疵(かし)担保責任とは?」をご参照ください。)といった事情がなくても、契約を解除することができます。本事例の買主は、「他に適切な土地が見つかった。」という理由で契約を解除するとのことですが、極端な話、「やはり気が向かないから。」といった理由で解約手付による解除をすることも認められます。
しかし、このような理由で契約を解除できるというのであれば、契約の当事者としては、決済の準備が無駄になってしまうことが心配で、決済の準備に踏み切れないでしょう。また、実際に準備を行い、その後に解約手付により解除されてしまった場合には、その準備費用が無駄になってしまいます。
このように、契約の決済に向けて準備を進めてきた契約当事者の期待を保護するために、解約手付による解除は、契約の相手方が契約の「履行に着手」するまでに行わなければならず、それ以降は、解約手付による解除は認められません。
4.「履行に着手」するとは、具体的にどのようなことをいうか
では、「履行に着手」するとはどのような場合をいうのでしょうか。この点については、先ほど述べたような決済に向けた準備を行った契約当事者の期待を保護するという目的から考えて、「客観的に外部から認識できるような形で履行行為の一部をなし、又は履行の提供をするために欠くことのできない前提行為をした場合」には、「履行に着手」したといえるとされています。
そして、契約当事者の行為が先に述べた「履行に着手」した行為に該当するかどうかは、実際に行った行為の内容や債務の内容、決済の時期が定められた目的などを考慮すべきとされています。
実際に裁判となった事案として、土地の売買契約で、買主がその土地を転売する契約を締結しており、転売のために土地の整備作業に着手していた場合に、転売代金によって売買代金の残部を支払う予定であった事実などから、整備作業によって買主が「履行に着手」したとして、売主の解約手付による解除を認めなかったものがあります。
他方、同じく転売代金によって、土地の売買代金を支払う予定であった事案でも、転売契約について、手付により転売契約が容易に解除される状態にあったとして、「履行に着手」したといえず、売主の解約手付による解除を認めたものもあります。
このように、「転売代金によって売買代金を支払うことを予定して、転売契約を締結した」という点が共通していても、「履行に着手」したといえるとした事案といえないとした事案があります。それほど、「履行に着手」したといえるかどうかの判断は、個別具体的な事情の判断によるところが大きいといえます。
5.事例の場合
本事例では、手付が交付されており、特に反対の事情もないので、この手付は解約手付と考えられます。そのため、買主は、「500万円を放棄して契約を解除する。」として、解約手付による解除を主張しています。
では、売主は「履行に着手」したといえるでしょうか。
本契約では、売却する土地の上にある建物の賃借人に退去してもらい、建物を取り壊したうえで買主に引き渡すこととされています。つまり、売主が土地を引き渡すという履行行為をするためには、賃借人に退去してもらい、建物を取り壊すことが不可欠です。そして、売主は、賃借人に立退き料50万円を支払って、建物を明け渡してもらっていることから、売主は、履行行為の不可欠な前提行為を行ったといい得ます。
また、売主がこのような賃借人に立ち退いてもらった時期も、決済日から約1ヶ月前ということで、この点も決済の準備のための行為であるといいやすい事情です。
以上の事情を考慮すると、その他の個別具体的事情にはよるものの、売主が「履行に着手」したといえ、買主の手付解除の主張は認められないという結論になる可能性が比較的高いのではないかと考えられます。
6.トラブルを未然に防ぐために
このように、「履行に着手」という要件は、個別具体的な事情によって結論が分かれるために、その判断を巡って当事者間で争いになる可能性もあります。その場合には、弁護士に相談し、専門的見地を踏まえて主張・立証を組み立てる必要があります。
そのような事態をできる限り防ぐために、予め解約手付による解除を認める期限を日付で特定しておくべきでしょう。
また、本事例では、買主から交付された500万円が手付であることを前提にしていますが、そもそも交付された金銭が手付であるかどうかも争いになる余地がありますので、解約手付の意味で金銭を交付するのであれば、解約手付であるということも契約書で明確にしておくべきでしょう。