『游相(ゆうそう)日記』は江戸後期の画家・思想家、渡辺崋山が1831(天保2)年に相模を訪れた際に記した紀行文。江戸から「大山道」を歩き、一泊目に「荏田宿」の旅籠に宿泊。荏田付近について『此地は有馬坂下にて、山多田少し』と記している。図は『有馬』と記された挿絵。
江戸時代、現在の「国道246号」とほぼ同じルートに、当時大流行した「大山詣」で賑わった「大山道」が通っていた。明治期以降、この地域には鉄道が引かれなかったこともあり、人々の往来のメインルートから外れ、静かな農村となった。大きな転機が訪れたのは戦後の1960年代。現在の川崎市宮前区から横浜市青葉区にかけての一帯において、「東京急行電鉄」(以下「東急電鉄」と表記、現「東急」)が中心となり、のちに「多摩田園都市」と呼ばれるニュータウンの整備が始められた。その後、「国道246号」の改良、東急田園都市線延長開業、「東名高速道路」開通をはじめ、商業施設・文化施設などの整備も進み、現在では各種の住みたい街ランキングでも上位に入ることが多い、人気の住宅地となっている。