江戸時代に「東海道」の往来や寺社への参詣客で賑わい、明治時代には「文明開化」で新しい文化が入ってきた新橋では、江戸時代から明治時代にかけて、食文化も発展した。ここでは、現在も残る江戸~大正期創業の代表的な老舗を紹介したい。
「新橋玉木屋」は江戸時代後期の1782(天明2)年創業の佃煮・煮豆の老舗。創業時から近年まで「東海道」沿い(現・港区新橋一丁目)に店舗を構えてきたが、2022(令和4)年に「新虎通り」沿いへ移転した。創業当初は煮豆のお店であったが、「芝肴」を使った佃煮も人気となった。
1883(明治16)年に「愛宕山麓」に創業した「小西」は、江戸時代初期の1641(寛永18)年、小西弥兵衛が芝口(現・新橋)に開いた、関西の日本酒を運び販売する「下り酒屋」をルーツとしている。明治中期には「愛宕山」にレストラン兼ホテルの「愛宕館」が開業し、外国人も多かったことから、当時はまだ珍しかったワインなどの洋酒も取り扱ったという。現在はワインショップ「あたご小西」として営業している。
「新橋駅」西口駅前の烏森地区に1909(明治42)年に創業した「新橋 末げん」は、政治家の原敬、歌舞伎役者六代目尾上菊五郎など著名人も通った鳥料理店。作家・三島由紀夫も通ったお店で、1970(昭和45)年の「三島事件」で自決する前日には「楯の会」の仲間とともに訪れ「最後の晩餐」としたことでも知られている。
港区新橋四丁目にある「新正堂」は「赤穂事件」で浅野内匠頭が切腹した「一関藩田村家屋敷」跡地に1912(大正元)年に創業した老舗の和菓子店。「切腹最中」は、最中から餡子がはみ出すほど入り、「お詫びの品」としても人気となっている。