江戸時代、「大山道」は「大山詣」で行き交う人々で賑わった。三軒茶屋の地名は「角屋」「信楽」「田中屋」という3軒の茶屋が「大山道」沿いにあったことに由来する。図は江戸末期に描かれた前北斎為一(ぜんほくさいいいつ)による「大山詣・江ノ島詣」の道中を題材とした『鎌倉江ノ嶋大山新板往來雙六(すごろく)』の一部。前北斎為一は、葛飾北斎が60~70歳頃に使用していた画号で、『鎌倉江ノ嶋大山新板往來雙六』は北斎が生涯で唯一描いたすごろく。
「大山道」の本道(現「世田谷通り」)と新道(現「玉川通り」)の分岐点となる「信楽」(のちの「石橋屋」「石橋楼」)があった場所は、現在はカラオケ店となっており、その前の駅入口の脇には「大山道」の道標が保存されている。「田中屋」は当時とほぼ同じ場所で「田中屋陶苑」として営業を続けている。 MAP __(大山道の道標) MAP __(田中屋陶苑)