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戦後の三軒茶屋界隈

古くから交通の要衝であった三軒茶屋は、戦後、ヤミ市に始まり、多くの商店や飲食店、映画館が立地するなど、大いに賑わった。現在は「キャロットタワー」をはじめ再開発により整備された区域がある一方で、昭和期のレトロな雰囲気を残す区画も残っている。池尻・下馬周辺の軍用地の跡地には集合住宅、学校、病院、公園など大規模な施設も建設された。


「世田谷郷」と都営住宅

下馬一帯に建ち並んでいた兵舎群は、終戦後、東京都の引揚者住宅「世田谷郷(ごう)」(写真)となり、満州からの引揚者など約1,100世帯が暮らすようになった。建物の老朽化などから、その一部は1958(昭和33)年から「都営下馬アパート」として建て替えられた。【画像は1950(昭和25)年】

現在、「都営下馬アパート」では更なる建て替え、高層化が進められている。 MAP __

下馬二丁目には「野砲兵第一聯隊」当時の兵舎(現「東京世田谷韓国会館」)が残っている。 MAP __

5軒の映画館でも賑わった三軒茶屋 MAP __

写真が撮影された1961(昭和36)年当時、三軒茶屋には5軒の映画館があるなど、娯楽でも賑わう街であった。写真右奥の「世田谷中央劇場」は「三軒茶屋中央劇場」への改称を経て2013(平成25)年に閉館、写真左にあった「三軒茶屋東映」は「三軒茶屋シネマ」への改称を経て2014(平成26)年に閉館。これにより三軒茶屋の映画館は全てなくなった。【画像は1961(昭和36)年】

「三軒茶屋中央劇場」は建て替えられカラオケ店などになっているが、「三軒茶屋シネマ」は現在も看板が残っている。

レトロな雰囲気が残る商店街 MAP __

「三軒茶屋の「世田谷通り」「国道246号」が分岐する一角は、通称「三角地帯」と呼ばれる。戦時中に空襲被害に遭った場所で、終戦後、焼け跡にヤミ市ができて賑わうようになった。写真は1950(昭和25)年に建設された「仲見世商店街」(現「エコー仲見世商店街」)で、1961(昭和36)年の撮影。【画像は1961(昭和36)年】

「エコー仲見世商店街」(写真)をはじめ「三角地帯」周辺は、近年レトロな雰囲気で人気となっているが、現在、一帯では再開発が予定されており、準備組合により防災性を確保しつつ魅力あるまちづくりへの検討が進められている。

暗渠となった「蛇崩川」 MAP __

「蛇崩(じゃくずれ)川」は、弦巻五丁目の「馬事公苑」付近を水源とし、三軒茶屋の南側を流れ「目黒川」に注ぐ河川。写真は1961(昭和36)年に「小泉橋」から「駒沢橋」方面を撮影したもの。【画像は1961(昭和36)年】

世田谷区内の「蛇崩川」は、下水道幹線として暗渠化が完了しており、地上部は昭和50年代に「蛇崩川緑道」として整備された。写真の両脇に広がる「小泉公園」は1942(昭和17)年に「駒沢町上馬土地区画整理事業」で整備された歴史ある公園で、2010(平成22)年には地下に雨水調整池(大雨時に一時的に貯水する池)が完成している。


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