池田光政が1666(寛文6)年に「岡山城 西ノ丸」に「仮学館」を創設、1669(寛文9)年に西中山下(現・蕃山町)に移し「学校(国学)」とした。「廃藩置県」後は「普通学校」と改称、士族以外の受け入れを始めたが、やがて廃校となり、私塾「遺芳館」に継承される。一方、師範学校である「温知学校」が1874(明治7)年6月に開校。8月には「予科」に員外生として、教員志望でない生徒の入学を認め「遺芳館」の幼年生が多く移籍した。
池田家により置かれた藩校の系譜は「岡山中学」から「岡山一中」に受け継がれる。「第六高等学校」とともに、岡山の教育を象徴する存在となった。このページでは岡山の教育・文化拠点である「岡山県立図書館」についても紹介する。