写真は昭和30年代の姪浜の様子で、手前中央が「名柄川」河口付近にある魚市場、手前左が「能古島(のこのしま)」への渡船場、右の家が密集しているところが「姪浜宿」から発展した町の中心部。左の湾曲している海岸付近では海苔の養殖が行われていた。その後に白く写る山は「早良炭鉱 本坑」のボタ(石炭くず)山、その右の山が「愛宕山」。 MAP __
江戸時代、「唐津街道」の宿場町「姪浜宿」は、「博多湾」に面し港を擁することから、商業や漁業、製塩業なども発展、「姪浜千軒」と呼ばれる賑わいを見せた。「愛宕山」は江戸時代から続く名所で、昭和初期にはロープウェイも開業。大正期以降、姪浜は炭鉱の町としても栄え、戦後の閉山後、周辺は埋立てられ、豊浜と呼ばれる住宅地となった。その後、愛宕浜の埋立ても行われ、住宅地の整備、大型マンションの建設が進められたほか、大型公園や商業施設も誕生した。