1573(天正元)年、大坂で林家が創業した薬種商をルーツとし、「大坂夏の陣」ののち、創業者の弟が、徳川家康の招きで江戸・日本橋に進出した。この時、林家が東西に分かれたことから、林の文字を分解し「木屋」と号するようになった。江戸の「木屋」の本家は漆器などを扱い、店舗は当初は本町三丁目に構えられ、1657(明暦3)年の「明暦の大火」ののちに室町二丁目(現在の「日本橋三越本店」の本館の南部分付近)に移転した。江戸の「木屋」は将軍家や諸大名にも贔屓されるなどで繁栄し、本家の周辺には暖簾分けにより、多くの店舗が開かれた。「木屋」では、暖簾分けの際『本家と同じ商品を扱ってはいけない』という決まりがあったため、「打刃物木屋」「三味線木屋」「小間物木屋」「文房具木屋」など、さまざまな扱い品目の店が開かれることとなった。「打刃物木屋」は、1792(寛政4)年の創業で、本家の「木屋」に丁稚で入った伊勢出身の少年が番頭まで勤め上げたのち、本家の隣に暖簾分けで出店した刃物店であった。写真は「関東大震災」後に竣工した、刃物の「木屋」の店舗。この建物は、「太平洋戦争」末期の強制建物疎開で取壊された。
MAP __(江戸期の木屋の場所)
1590(天正18)年、徳川家康は江戸に入府すると、「江戸城」や城下町の建設、家臣などの生活を支えるため、旧領地(三河・遠江・駿河)や、関係のあった京都・伏見・堺などから商人や職人を江戸へ招いた。また、すでに全国で商業的に活躍していた「伊勢商人」「近江商人」なども進出。日本橋は商人の町としても発展した。