江戸期に、「徳川御三卿」の一つ、「清水徳川家」の下屋敷があり、その庭園は、茶の湯(茶道)に適した湧水があったことから「甘泉園」と呼ばれた。切絵図は、1854(嘉永7)年に出版された『大久保絵図』の一部で、概ね北が上になるように回転させてある。左上の「清水殿」とある場所が「清水徳川家」の下屋敷。この場所は、明治期に政治家・経済学者で、「専修学校」(現「専修大学」)の創設者の一人でもある、相馬永胤の邸宅となった。
この地は、1938(昭和13)年に「早稲田大学」が取得していたが、戦後の1961(昭和36)年に敷地の北側は東京都に売却されて都立公園へ、1969(昭和44)年に新宿区へ移管され、現在は「新宿区立甘泉園公園」(写真)となっている。南側の高台部分の一部は、「早稲田大学」のキャンパス拡張に伴う「水稲荷神社」の敷地との交換に利用され、1963(昭和38)年に「水稲荷神社」が移転してきている。