「赤塚城」は、「武蔵野台地」から「荒川低地」を見晴らす崖線上に築かれた戦国時代の平山城。千葉自胤(よりたね)が1456(康正2)年に市川の「国府台城」から移り、築城したといわれる。その後、1524(大永4)年に「赤塚城」と「志村城」(後述)は小田原の後北条氏の支配下に入り、「小田原征伐」後に廃城になったといわれる。写真は1968(昭和43)年、「赤塚溜池公園」が開園した時の様子。正面の台地が「赤塚城」の本丸跡地となる。
MAP __
写真は現在の「赤塚溜池公園」。池は農業用ため池として古くからあったもので、現在はヘラブナなどの釣りを楽しむ人も多い。写真右には「板橋区立郷土資料館」(1972(昭和47)年開館)、写真外左奥には「板橋区立美術館」(1979(昭和54)年開館)があるほか、二の丸跡には「乗蓮寺」が移転してきており、歴史・文化・自然を楽しめるエリアとなっている。