現在の星が丘の街づくりに大きな役割を果たしている「東山遊園株式会社」を中心とする「星が丘グループ」。創業者の水野鐘三氏は「東山公園」誕生や「田代土地区画整理組合」にも大きく関わった人物であった。
水野家は丸山村(現・千種区丸山町一帯)で代々商家を営んできた。鐘三氏は1925(大正14)年に「徳川御用林」と呼ばれた官有地の払下げを受けた。その土地は現在の「東山動植物園」の中心部、正面入口から「上池」にかけての区域などであった。翌年、この土地一帯が都市計画公園(のちの「東山公園」)の一部に指定。その後の「東山公園」開園の経緯はこちらのコラムの通りであるが、その中で、鐘三氏は所有地の内、約5・25万坪を名古屋市に寄付、約4万坪を売却し公園造成に協力した。開園当初の公園面積は約24・5万坪であり、鐘三氏の譲渡した土地は全体の4割近い面積にあたる。また、「田代土地区画整理組合」では設立当初に副組合長(後に組合長)を務めており、区画整理においても地域の発展に大きく貢献している。
終戦後、「東山動物園」と「東山植物園」は1946(昭和21)年に再開された。鐘三氏は、市長の勧めもあり「上池」での貸しボートと休憩所の営業を始め、翌年「東山ボート」として本格的に営業を開始。1948(昭和23)年には、「東山公園協賛会」を設立し、会長として公園の各種行事に積極的に協力した。
1951(昭和26)年、「東山遊園」として法人化。昭和30年代に「星ヶ丘団地」の開発で都市化が進むと、星が丘の地で多角的な事業を展開した。商業ビル経営も開始し、1961(昭和36)年には「愛知県住宅供給公社」との共同建築の「星ヶ丘第一ビル」が完成、1階にはスーパーマーケットが入った。1974(昭和49)年には「星ヶ丘第二ビル」が完成、百貨店を誘致し「オリエンタル中村 星ヶ丘店」が開店した。
1963(昭和38)年に「星丘自動車学校」(現「星が丘自動車学校」)を開校、1970(昭和45)年に「星ヶ丘ボウル」をオープン(2023(令和5)年閉鎖)、「星ヶ丘スポーツP&S」(室内プールとスケート場)をオープン(1999(平成11)年閉鎖)させるなど、モータリゼーション関連事業、スポーツ事業にも注力。現在に至るまで、時代に即したさまざまな施設を開発・運営する企業となっている。