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今池・池下の発展

今池は明治末期の路面電車の開通以降交通の要衝となり、戦後には商業地として、また飲食店や、映画館・ボウリング場などレジャー施設も集まる繁華街として発展、現在では千種区の拠点商業地となっている。「池下駅」前には1980(昭和55)年に「愛知厚生年金会館」が開館したが、2008(平成20)年に閉館となり、跡地には2013(平成25)年に42階建ての超高層マンションが竣工している。


今池の商業の発展

現在の「今池交差点」付近は、江戸期には「今池新田」の中にあり田畑が広がっていた。1911(明治44)年に「覺王山」へ向かう路面電車が通り、翌年には八事へ向かう路面電車との分岐点となり、交通の要衝となった。また、工場の進出もあり、今池のすぐ東、仲田周辺が商業地として発展した。空襲で一帯は大きな被害を受けたが、戦後、今池はヤミ市で賑わうようになり、映画館などのレジャー施設も立地する繁華街となった。写真は1972(昭和47)年の「今池東南商店街」の「東南通」。 MAP __【画像は1972(昭和47)年】

現在は「ダイエー通り」と呼ばれている。由来となった「ダイエー 今池店」は1969(昭和44)年に開店(場所は撮影地点より手前方面)、2015(平成27)年より「イオン 今池店」となっている。

写真は1968(昭和43)年撮影。道路の左側に見える「今池ボウリングセンター」は、ダンスホールを改造し1964(昭和39)年にオープンしている。大きい看板の「ほていや」は呉服店で、「ユニー」の前身となる企業。「今池ボウリングセンター」の手前には、この撮影年に開通した「東名高速」の案内標識も見える。 MAP __【画像は1968(昭和43)年】

ボウリング場の跡地はコンビニエンスストアなどになっている。この地の西に、かつてため池の「今池」があり、地名の由来にもなっている。「今池」は「馬池」とも呼ばれたが、元の池名がどちらかについては諸説ある。「今池」は1921(大正10)年から行われた「千種耕地整理」で埋め立てられ、現在跡地には「名古屋市立今池中学校」がある。

写真は1968(昭和43)年撮影の「今池交差点」。写真右奥の「千種郵便局」は、1903(明治36)年に「古井郵便受取所」として開局、当初は交差点の斜向かい、現「今池ガスビル」付近にあったが、1958(昭和33)年にこの場所へ移転した。 MAP __【画像は1968(昭和43)年】

「千種郵便局」は1986(昭和61)年に現在の局舎へ建て替えられた。

写真は1968(昭和43)年撮影の「大久手交差点」。右手前を斜めに分岐する軌道は名古屋市電八事線。この道路と軌道は、明治末期に尾張電気軌道のために建設されたもので、1912(明治45)年に開通した。 MAP __【画像は1968(昭和43)年】

現在の「大久手交差点」。この区間の市電は1974(昭和49)年に廃止された。

「池下駅」まで地下鉄が開通 MAP __

名古屋では、大正期から戦前期にかけて、地下鉄建設の構想があったが実現しなかった。戦後、戦災復興計画の中で地下鉄計画が進められ、1954(昭和29)年に着工、1957(昭和32)年に1号線(現・東山線)の「名古屋駅」から「栄町駅」(現「栄駅」)間が、1960(昭和35)年に「栄町駅」から「池下駅」間が開業した。写真は開通時の「池下駅」の駅前の様子で、手前に市電の線路も見える。このあたりに灌漑用の池「蝮ヶ池(まむしがいけ)」があったことが池下の地名の由来で、この池も「今池」と同じく1921(大正10)年から行われた「千種耕地整理」で埋め立てられた。【画像は1960(昭和35)年】

写真は現在の「池下駅」前。右のビルは1980(昭和55)年の完成で、地下鉄駅入口のほか、バスターミナル、市営住宅、商業施設などが入る。同年、駅の北東側の地下鉄「池下車庫」の跡地に「愛知厚生年金会館」も開館したが、2008(平成20)年に閉館となり、跡地には2013(平成25)年に地上42階建ての超高層マンション(写真右奥)が竣工した。



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