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「東山動物園」と「東山植物園」

「東山公園」は、1926(大正15)年、「名古屋都市計画」による公園計画の中で「16号公園」として告示されたことに始まる。1937(昭和12)年に植物園と動物園が開園、以降80年以上にわたり多くの人々に親しまれてきた。現在、動物園は国内最大級の敷地に日本一の展示種類数を誇っている。2010(平成22)年には「東山動植物園再生プラン新基本計画」が策定され、展示施設の再整備などが進められている。



「東山公園」の誕生と発展

1932(昭和7)年頃、名古屋市は、「鶴舞(つるま)公園」の動物園(1918(大正7)年開園)の敷地が狭かったため、移転先を検討していた。また、同年「東邦瓦斯」より市へ植物園の整備費寄付の申出や「名古屋博物学会」から植物園整備の陳情もあったことから、動物園・植物園を含む公園計画を策定、用地の確保など準備を進めた。公園の名称は「東山公園」と定められ、1935(昭和10)年に一旦開園。その後、植物園と動物園の建設が進められ、1937(昭和12)年に開園した。

「東山動物園」は、ドイツの動物商で「ハーゲンベック動物園」の園長でもあったハーゲンベック氏の助言を得て作られた。動物もハーゲンベック氏から多数購入したほか、「木下サーカス」からも4頭のインドゾウを購入するなど、施設・展示動物が充実し『東洋一の動物園』と呼ばれるようになった。また、「東山植物園」には『東洋一の水晶宮』と呼ばれる大温室も建設された。

戦時中、植物園は軍に接収され休園、空襲の爆風により温室のガラスが割れ、多くの栽培植物が死滅、自然林も燃料確保のため伐採されるなど荒廃した。動物園では治安維持を理由に、猛獣類の射殺が命じられ、また栄養失調などからほとんどの動物が亡くなり、インドゾウのマカニーとエルド、チンパンジー1頭、鳥類約20羽のみが終戦の日を迎えた。

開通記念式の様子

1963(昭和38)年、名古屋市営地下鉄の1号線(現・東山線)が池下から東山公園まで延伸された。写真は開通記念式の様子で、動物園のトラ(写真左)もテープカットに参加している。地下鉄の延伸で、この年の動物園入園者数は185万人から246万人へ増えた。
【画像は1963(昭和38)年】

終戦後、動物園・植物園の復興が進められ1946(昭和21)年3月に再開園。動物園の動物たちも年々増え1955(昭和30)年に戦前並みの規模に復活した。1959(昭和34)年の「伊勢湾台風」でも大きな被害を受けるも再び復興を遂げ、1968(昭和43)年に動物園・植物園が統合され「東山動植物園」となった。


恐竜も展示する「東山動物園」 MAP __(東山動物園恐竜像)

「東山動物園」開園前のパンフレット

鳥瞰図は、1937(昭和12)年の「東山動物園」開園前のパンフレットに掲載された予定図。ハーゲンベック氏の助言を得て、「獅子放養場」(現「ライオン舎」)、「白熊氷山」(現「ホッキョクグマ舎」)に当時としては珍しい無柵放養形式が取り入れられた。【図は1937(昭和12)年頃】

開園の翌年には、「ハーゲンベック動物園」に倣って恐竜の等身大コンクリート像3体が現在の「古代池」付近に設置された(左からイグアノドン、トリケラトプス、プロントザウルス)。鳥瞰図(予定図)では「正門」のそばの池畔に「古代動物苑」が描かれていることから、当初の予定から変更になったものと思われる。【画像は1940(昭和15)年頃】

2011(平成23)年に「東山動物園恐竜像」として名古屋市の「認定地域建造物資産」となり、2017(平成29)年に補修・補強された。現在の「古代池」ではフラミンゴなどの展示を行っている。

「東山植物園」の「温室前館」 MAP __

写真は開園当初の「東山植物園」の様子。開園と同時に誕生した「温室前館」は鉄骨造の総ガラス張りで、「平等院鳳凰堂」を思わせる左右対称な美しい姿から『東洋一の水晶宮』とも呼ばれた。【画像は1940(昭和15)年頃】

「温室前館」は2006(平成18)年に国の重要文化財に指定、2013(平成25)年より保存修理工事が行われ、2021(令和3)年にリニューアルオープンした。写真の左後方に見える「東山スカイタワー」は1989(平成元)年に開業している。

戦後の「東山動物園」のゾウ MAP __(旧ゾウ舎付近)

日本国内において、「太平洋戦争」を生き抜くことができたゾウはマカニーとエルドのみであった。戦後の1949(昭和24)年5月、東京・台東区の子どもたちから『「上野動物園」にゾウを貸してほしい』という希望があり、それは叶えられなかったものの、国鉄(現・JR)の協力もあり、同年6月から東京をはじめ全国各地から特別列車(のちに「ゾウ列車」と呼ばれる)が運行され、多くの子どもたちが「東山動物園」を訪れた。写真は1949(昭和24)年、「ゾウ列車」で訪れた子どもたち。【画像は1949(昭和24)年】

「東山動物園」のゾウはサーカス出身で、戦前から曲芸も見せており、1951(昭和26)年にはマカニーとエルドをはじめ、ニホンザルなどの動物からなる「ニコニコサーカス」が結成され名物となった。マカニーとエルドは2頭とも1963(昭和38)年に亡くなった。写真は「ゾージアム」にある「ゾウ列車」の碑。現在「東山動植物園」ではアジアゾウが5頭飼育されている。

動物園と植物園を結ぶモノレール MAP __(植物園駅跡)

「東山公園モノレール」は1964(昭和39)年に開業。「新三菱重工業」(現「三菱重工業」)が建設、「名古屋市交通局協力会」が運営していた。路線延長は471mと短いものの、遊具ではなく認可を受けた正式な鉄道で、現在の「スマトラトラ舎」付近に置かれた「動物園駅」から直線的に軌道が延び、現在の「コアラ舎」付近、「上池」沿いを通り、「上池門」のそばに置かれた「植物園駅」を結んでいた。写真は「上池」付近。当初は人気を集めたものの、利用客数の落ち込みから赤字となり、1974(昭和49)年に廃止された。【画像は昭和40年代】

「植物園駅」跡には車両と軌道の一部が保存されている。1987(昭和62)年、動植物園の開園50周年を記念して、遊戯施設のモノレール「スカイビュートレイン」が開業しており、一部区間はかつてのモノレールの軌道跡地が使用されている。写真は「植物園駅」跡の保存車両と、脇を通る「スカイビュートレイン」。


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