戦後「香里製造所」の跡地は、「日本住宅公団」(現「UR都市機構」)により、「香里団地」が建設された。団地内には市役所支所や診療所なども整備され、若いサラリーマン世帯が多く入居した。
戦後「香里製造所」の跡地は、「日本住宅公団」(現「UR都市機構」)により、「香里団地」が建設された。団地内には市役所支所や診療所なども整備され、若いサラリーマン世帯が多く入居した。
「香里団地」はのちに『東洋一のマンモス団地』と呼ばれることとなる。写真は第一期工事の看板。大きな十字路が「藤田川交差点」で、北が下向きに描かれている。
写真は現在の「藤田川交差点」から北側で進む建設の様子。1958(昭和33)年の撮影で、前掲の看板の「A地区」にあたる。同年から入居募集が開始となり、モダンな生活スタイルを求める、若いサラリーマン層が多く入居し「団地族」と呼ばれた。現在は「香里ヶ丘けやき東街」(1996(平成8)年建替え着手、2001(平成13)年入居開始)の1~4号棟となっている。 MAP __(藤田川交差点)
団地内には、市役所支所、公設市場、診療所、郵便局、巡査派出所が設置された。写真は1958(昭和33)年に開設された「香里ヶ丘診療所」。「香里製造所」時代に「収函室」として使用されていた建物が転用されている。 MAP __
写真右は団地内に設けられた公設市場「香里マーケット」。「香里製造所」時代に「仕上室」として使用されていた建物が転用されていた。 MAP __
戦後に始まった「淀川まつり」は、夏の風物詩として枚方市民に親しまれてきたが、財政難のために1975(昭和50)年に中止された。代わって、翌1976(昭和51)年からは、約20の市民団体が結集した「枚方まつり実行委員会」が主催する市民主体の夏祭り「枚方まつり」が始まり、現在も続いている。写真は「第1回枚方まつり」の様子で、岡新町の「ふとん太鼓」の巡行が行われている。