終戦後、1946(昭和21)年より、「服部時計店」(現「和光」)、「伊東屋」など銀座の老舗の多くが「連合国最高司令官総司令部」(以下「GHQ」)により「PX」として接収された。「松屋 銀座本店」も同年に全面接収され、「TOKYO PX」として利用された。写真は1946(昭和21)年頃、「GHQ」のスタッフとして日本に滞在していたロバート・モージャー氏が撮影したもの。「TOKYO PX」の大きな看板が掲げられている。右下の「銀座通り」の歩道上には露店も見える。
終戦後、銀座の百貨店などは「PX」(進駐軍専用の売店)として接収された。戦後復興が進むと、灰じん(瓦礫)の処理のために「三十間堀川」は埋立てられた。「銀座通り」などに並んだ露店は戦後復興期の住民の生活を支えたが、「露店整理」により撤去され、代替となる共同店舗は「三十間堀川」の埋立て地に作られた。