「博多」の地名が初めて文献に登場するのは、平安時代初期の797(延暦16)年に完成した『続日本紀(しょくにほんぎ)』。その中の奈良時代中期・759(天平宝字3)年の記事に「博多大津」という地名が登場する。「博多大津」とは「博多港」のことで、九州の政治・外交・軍事を担う役所「大宰府」の外港として重要な役割を果たしていたと考えられている。写真は1936(昭和11)年に開催された「博多築港記念大博覧会」の「郷土史館」内での展示で、「鴻臚館」を出た「遣唐使」の一行が「遣唐船」に乗り込もうとしている風景が再現されている。
「遣唐使」や「博多商人」が海外へ向けて出港した「博多大津」(現「博多港」)は、現在に至るまで、日本の窓口としてその役割を果たしている。また、空の交通を担う飛行場も、初期の水上飛行機の拠点・名島から雁ノ巣、席田(むしろだ)の軍用飛行場を経て、規模を拡大しながら国際的な空港に成長した。