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都市の近代化

「明治維新」後、福岡には県庁が置かれた。その後、博多と合わせて一つの都市となり、1889(明治22)年に福岡市が誕生した。公園・鉄道・道路・港湾など、近代的な都市としての整備も進められ、また、海岸や運河の埋め立てや周辺地域の合併などで市街地を拡大させ、九州を代表する都市へ発展していった。


1876(明治9)年に開園した「東公園」 MAP __

「東公園」は1876(明治9)年に「東松原公園」として開園した福岡県初の公園で、1900(明治33)年に現在の名称となった。1910(明治43)年、「東公園」内に「パノラマ館」(写真)が建設された。「パノラマ館」とは円筒の建物の内側360°に描かれた絵画を中央から眺める展示施設で明治20年代~40年代にかけて全国的に見られた。ここでは、当初は縦約9m・横約75mの「日露戦争」の『日本海海戦の図』が展示され、翌年に『蒙古襲来の図』へ展示替えされていた。「パノラマ館」は日蓮上人の銅像(後述)の約100m北東にあったが、1914(大正3)年の暴風雨で倒壊したといわれる。
MAP __(パノラマ館跡) 【画像は明治後期】

日本が清などとの対外的な緊張が高まり始めた明治20年代、かつて「元寇」の戦いの舞台となった福岡では、護国思想高揚のため「元寇」に関連する記念碑が計画され、設置先は「東松原公園」(現「東公園」)に決まった。当初は「元寇」当時の執権・北条時宗の騎馬像が計画されていたが、「日蓮宗」の協力を得るため、日蓮上人を迫害した北条時宗から、亀山上皇の銅像へ変更したといわれる。また、「日蓮宗」は「元寇」を予言した日蓮上人の銅像も近くに建立することとし、両像とも「日露戦争」開戦の年でもある1904(明治37)年に完成となった。写真は現在の「東公園」と、そのシンボルとなっている亀山上皇の銅像。

「九州帝国大学」(現「九州大学」)の誘致に成功した福岡県

1900(明治33)年、「帝国議会」で「九州・東北帝国大学設置建議案」が可決。その第一段階として、九州に医科大学の開設が決まると、長崎・熊本・福岡の3県は誘致合戦を展開。福岡県は福岡市および「博多商業会議所」と協力し、官民が一体となった誘致運動を行い、「県立福岡病院」の敷地と施設(1896(明治29)年に東中洲から千代村(現「病院キャンパス」)へ移転したばかりであった)の提供も申し出た。その結果「帝国大学」の誘致に成功し、1903(明治36)年、「県立福岡病院」があった場所に「京都帝国大学福岡医科大学」が創設された。当時の「帝国大学令」では単科大学は認められていなかったため、当初は「京都帝国大学」の分科大学という体裁がとられた。1911(明治44)年、「工科大学」の開設により「九州帝国大学」が創設となり、これに伴い「九州帝国大学医科大学」へ改組。さらに1919(大正8)年の「帝国大学令」の改正で「九州帝国大学医学部」へ改称となった。

写真は昭和前期の「九州帝国大学医学部」。この正門は1928(昭和3)年に創立25周年の記念事業の1つとして設置されたものであった。
MAP __【画像は昭和前期】

戦後、「九州帝国大学」は新制の「九州大学」となった。写真は現在も「医学部」と「九州大学病院」が置かれている「病院キャンパス」。

写真は昭和初期に撮影された箱崎の「九州帝国大学」。1911(明治44)年の「九州帝国大学工科大学」開設の際、箱崎に新たな校地が設けられた。1924(大正13)年には、敷地内に法文学部も設置された。写真の奥の建物は「法文学部本館」で、1925(大正14)年に前面部分が、翌年全体が竣工した。
MAP __【画像は昭和初期】

写真は2016(平成28)年に撮影した「箱崎地区」。かつて「法文学部本館」だった建物は、近年は「応用力学研究所本館」として使用されたが2006(平成18)年に閉鎖、2017(平成29)年に解体された。正門は1914(大正3)年に設置(1924(大正13)年に用地拡大に伴い移設)された「九州大学」に残存する最古の建造物で、2024(令和6)年に国の登録有形文化財となっている。【画像は2016(平成28)年】

箱崎に開設された「九州帝国大学工科大学」は、1919(大正8)年に「九州帝国大学工学部」となった。写真は昭和戦前期の「九州帝国大学工学部」で、この建物は1930(昭和5)年に竣工した。
MAP __【画像は昭和戦前期】

現在「九州大学」のキャンパスは「伊都キャンパス」「病院キャンパス」「筑紫キャンパス」などに分かれている。「箱崎地区」にあった学部などは、2018(平成30)年に「伊都キャンパス」へ移転が完了、敷地の一部は「箱崎サテライト」として整備され、残された建物4棟は2023(令和5)年に、正門及び塀は2024(令和6)年に登録有形文化財となった。このうち「旧九州帝国大学工学部本館」(写真)は「九州大学総合研究博物館」と「九州大学大学文書館」が使用している。また、「箱崎サテライト」を除く、広大な「箱崎地区」の跡地では再開発が計画されている。

行楽地だった「箱崎海岸」

「箱崎海岸」には、1907(明治40)年頃に海水浴場が設けられ、1909(明治42)年には、翌年に控えた「第13回九州沖縄八県連合共進会」の開催に合わせ、福岡初の洋式ホテル「抱洋閣(ほうようかく)」が開業となった。外国人や有力者の利用も多く、福岡の迎賓館としての役目も果たしたという。設計は「日本生命保険九州支店」や「東京駅」などを手掛けた建築家・辰野金吾氏で、汐湯(海水を沸かした風呂)や蒸風呂も楽しめた。写真は開業当時の様子。
MAP __【画像は1909(明治42)年】

「抱洋閣」は大正後期に廃業、その空家には、中国の詩人・政治家の郭沫若氏が「九州帝国大学医学部」の留学生だった一時期、暮らしていた。その後、「博多湾鉄道」や国道の工事で建物は撤去されたという。跡地は「福岡市東区役所」前の国道上となる。

「箱崎水族館」は1910(明治43)年、「第13回九州沖縄八県連合共進会」の開催に合わせて開業した。「抱洋閣」や「千代松原」、「筥崎宮」の参道などと合わせ、「箱崎海岸」一帯は行楽客で賑わうようになった。
MAP __【画像は明治後期~大正期】

「箱崎水族館」は、昭和初期に海岸が埋立てられたことなどから閉鎖された。「箱崎水族館」の跡地は「東浜公園」付近となる。

「多々良川」に架かる九州鉄道の橋梁

九州鉄道(現・JR鹿児島本線)は1889(明治22)年、「博多駅」から南方面、「千歳川仮停車場」(現・佐賀県鳥栖市)の間で開業した九州初の鉄道。1891(明治24)年には「博多駅」から北東方面、「門司駅」(現「門司港駅」)まで延伸開業しており、この時、写真の「多々良(たたら)川橋梁」も供用開始となった。「多々良川」は笹栗方面から名島と箱崎の間を流れ「博多湾」に注ぐ河川。「多々良」という地名は、製鉄に関連するといわれ、神功皇后の伝説も残る。
MAP __【画像は大正期】

写真右は現在のJR鹿児島本線の「多々良川橋梁」。この付近の「多々良川」には、写真左の西鉄貝塚線「名島川橋梁」など、複数の鉄道橋・道路橋が架けられている。
MAP __(名島川橋梁)

天神に置かれていた「福岡県庁」

1871(明治4)年、「廃藩置県」により福岡県が誕生したが、庁舎は引き続き「福岡城」内に置かれた。1876(明治9)年に天神へ移転し、1915(大正4)年にルネサンス様式の新庁舎が完成した。写真は大正期の撮影で、正面は北側(現「明治通り」側)を向いていた。その後、昭和戦前期・戦後期にかけて、南側に別館・新館などの庁舎も建設された。1977(昭和52)年、「東公園」への移転が決定し、1981(昭和56)年に現在地へ移転となった。
MAP __(旧庁舎の場所)MAP __(現庁舎の場所)【画像は大正期】

移転後、天神の「福岡県庁」跡地は、イベント広場として暫定的に使用されたのち、公民複合施設として整備されることになり、1992(平成4)年に着工、1995(平成7)年に竣工し「アクロス福岡」(写真)がオープンとなった。館内には「福岡シンフォニーホール」「国際会議場」といった文化・公共施設のほか、ショップ、オフィスなどが入る。南側の県庁の別館などがあった場所は、「東公園」の縮小に伴う代替公園の一つとして「天神中央公園」が整備され、1989(平成元)年に開園した。「天神中央公園」の「噴水広場」などには、旧庁舎の石柱や石材がモニュメントとして設置されている。

「福岡県庁」前を走る路面電車。手前の路面電車の右側には「福博電車」の大きな看板が見える。【画像は大正期】

「アクロス福岡」前の現在の様子。現在この通りは「明治通り」と呼ばれており、路面電車に代わって「西鉄バス」が行き交う。

市制当初から天神に庁舎を置く「福岡市役所」 MAP __

福岡市は1889(明治22)年に国内で初めて市制が施行された全国31都市の一つ。初代の庁舎は「水鏡天満宮」(天神の地名の由来となる神社)の西側に置かれた。1894(明治27)年に「水鏡天満宮」の東側の二代目の庁舎へ移り、1923(大正12)年、三代目となる写真の庁舎が完成し現在地へ移転した。写真は大正後期~昭和前期の撮影。1929(昭和4)年、「福岡県庁西別館」が道路を挟んで向き合う場所に竣工した。【画像は大正期~昭和前期】

現在の庁舎は四代目で、「議会棟」が1982(昭和57)年に、1988(昭和63)年に「行政棟」が完成した。写真は「アクロス福岡」の展望台からの撮影で、中央が「福岡市役所」、その右は「ベスト電器 福岡本店」。


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