「相模湾」の北側の海岸線には、東西に長い砂浜が延び、その内陸側に「湘南砂丘地帯」が広がる。「相模川」などの河川が運んできた砂が、波や風に運ばれて形成されたもので、鵠沼・辻堂の海岸の砂浜・砂丘もその一部となる。
江戸中期の1728(享保13)年、徳川幕府により「湘南海岸」一帯に「相州炮術調練場(鉄砲場)」が設けられた。明治初期になるとその一部、現在の「辻堂海岸」一帯が「日本海軍」の演習場などに使用され、1926(大正15)年に「横須賀海軍砲術学校 辻堂演習場」が置かれた。
辻堂では明治期から別荘や住宅が造られはじめ、1916(大正5)年に駅舎用地と建設資金を地元有志が提供する形で東海道線「辻堂駅」が開業。これをきっかけに住宅地が開発されるようになった。
昭和戦前期の「辻堂演習場」。【画像は昭和戦前期】
演習場は戦後に接収され「在日米海軍辻堂演習場」となった後、1959(昭和34)年に返還された。返還前には現在横浜市にある「こどもの国」建設の候補地にも挙がっていたが実現しなかった。返還後には住宅を含む様々な施設が作られた。「辻堂団地」は「日本住宅公団」(現「UR都市機構」)によって開発され、1964(昭和39)年から入居が始まった。1971(昭和46)年には海岸付近に「神奈川県立辻堂海浜公園」が開園。その北側には、1961(昭和36)年に「相模工業高等学校」(現「湘南工科大学附属高等学校」)が開校し、翌々年には「相模工業大学」(現「湘南工科大学」)も開学している。