買主は境界確認書の不交付を理由に代金の支払を拒めるか?
境界確認書とは、隣地所有者との間で境界の位置がどこにあるか争いのないことを図面により相互に確認し、署名捺印して取り交わす書面を言います。土地の売買契約にあたり、隣地との境界に争いがないことを示す目的で売主の義務として境界確認書が作成され、買主に交付されることがよく行われます。測量図面を添付しますので、土地家屋調査士に依頼して書面を作成するのが一般的です。
今回は、買主が境界確認書の交付がなされていないことを理由に代金の支払を拒めるかが争われた平成25年6月18日の東京地裁の裁判例を紹介します。
1 事案
(1) Xは牛丼店を全国展開する株式会社、Yは建築や不動産売買等を手掛ける株式会社です。
(2) XはYに所有している土地建物を代金8億5000万円で売却し、売買契約書には次のような約定がありました。
ア. XはYに対し、引渡し日までに隣接地との民々境界及び道路との官民境界について、所有者の署名捺印のある境界確認書や確定実測図を交付するものとし、測量費用はYが負担する。
イ. 当事者の一方が契約上の義務を履行しない場合、相手方は催告の上、売買契約を解除し、代金の20%相当額の違約金を請求することができる。
(3) 引渡し日を過ぎ、XはYに対し2週間以内に代金を支払わないときは売買契約を解除するとの意思表示をし、Yは2週間を経過しても代金を支払わなかったので、XはYに対し契約を解除するとの意思表示をするとともに違約金として1億7000万円の支払いを求めて訴訟を提起しました。
(4) 境界確認書や確定実測図については、測量事務所による土地の測量が行われましたが、東日本大震災の影響により市道との境界の確定作業ができず、それらの書類の作成や交付をすることができない状態でした。
2 境界確認書に関するXYの主張
(1) Yの主張
Xは、売買契約の約定により、Yに対し境界確認書を交付する義務を負っており、この義務とYの代金支払義務は同時履行の関係にある。
Xは、境界確認書をYに交付していないので、Yが本件売買代金を支払っていないことを違法と評価することはできず、Xによる本件売買契約の解除は効力が生じていない。したがって、Xは違約金の支払請求は認められない。
(2) Xの主張
Xは、Yに境界確認書を交付できていないが、その理由は、東日本大震災の影響により、市による道路境界確定作業が停止し、官民境界を確定することが不能になったためである。Xは、Yが指定した測量事務所による測量に立ち会い、必要な書面に捺印し、Xの手元にある民々境界の実測図をYに提出するなど必要な協力を行っているので、境界確認書の交付ができなかったことについて、Xに帰責事由はない。Yは、融資先から融資が受けられないとして支払の延期を申し出ており、代金を支払うことができなかったことはYの帰責事由によるものであり、本件売買契約の解除は有効である。
(3) 争点
XYが上記の主張をしたことより、Yには、境界確認書の交付を受けるまで、代金の支払を拒むことができる同時履行の抗弁権があるかがこの裁判の主たる争点となりました。
同時履行の抗弁権とは、契約の当事者が、相手方が債務を提供するまでは自己の債務を履行しないと主張できる権利をいいます。Yにこの権利が認められるのであれば、代金を支払わないことが違法ではなく、Xの解除や違約金請求が認められないこととなります。
3 裁判所の判断
上記2(3)の争点について、裁判所は次のように判断しています。
本件の売買契約は、交渉開始当初から、登記簿上の面積を基準とし、現状有姿で引き渡すことが売買の内容とされていた。当初は、測量を行うことは予定されておらず、境界確認書の交付義務は、売買契約書が作成される段階で、Yの要望を受けて初めて追加された条項であった。しかも、境界確認書の交付に要する測量費用等は、売主の負担とされるのが通常であるにもかかわらず、買主であるYの負担とする旨が定められている。そして、売買契約書上も、本件不動産の所有権の移転時期については、売買代金の受領と同時に行われるべきことが明示されているのに対し、境界確認書の交付については、売買代金の受領と同時に行われるべきことが明示されていない。
以上の本件売買契約の締結に至る経緯及び売買契約書の文言からすれば、境界確認書の交付義務は、代金支払義務と対価的な関係に立つ債務であると評価することはできない。
したがって、境界確認書の交付義務と売買代金の支払義務が同時履行の関係にあるということはできない。
裁判所は、このように判断して、Yの主張を採用できないものとして退けています。
4 不動産の売買契約と同時履行
不動産の売買契約においては、目的不動産についての売主の移転登記義務、引渡義務と買主の代金支払義務が主要な債務であり、これらが対価的な同時履行の関係にあることは明らかです。
不動産売買契約では、他にも特約により種々の売主の義務を設定することがありますが、それらの付随義務が代金の代金支払義務と対価関係にあるかは、買主がその不動産についての完全な所有権を取得することに支障を生ずるものであるかとの視点からの検討が必要であろうと考えます。付随的義務についても、代金支払義務と同時履行の関係に立たせたいのであれば、その旨契約書に明記しておくべきでしょう。
5 本件裁判におけるその他の争点
(1) 本件でYは境界確認書の交付の点以外にも、次のような主張をしていました。
・本件売買契約はYが金融機関から融資を受けることを前提として締結されたものであり、Xは、信義則上、Yから、Yが本件売買代金の融資を受けるために必要な書類の提出を求められた場合には、それらの書類を取得して提出するよう努力する義務を負っている。
・Xは、Yが融資を受けるために金融機関から提出を求められていた売買対象建物の賃借人の決算書の提出に応ぜず、建物賃借人のYへの決算書提出に承諾をしなかった。Yが代金の支払をできなかったのは、XがYによる決算書の取得を故意に妨げ、融資を受けられないようにしたからであり、民法130条の類推適用により、違約金の支払義務を負わない。
民法130条の類推適用とは、条件が成就することによって利益を受ける当事者が不正にその条件を成就させたときは、相手方はその条件が成就しなかったものとみなすことができるというものです。Xは、Yが代金を支払わないという条件の成就により、売買契約を解除し違約金を請求できるという利益を受ける立場にあり、自らYが融資を受けるのを妨害し代金の支払いができないようにしたことが違約金の支払義務を負わない理由になるとの主張です。
(2) この点について、裁判所は次のように判断しています。
Yは、本件不動産の売買について、金融機関から融資を受けることを前提としてXと交渉を開始し、不動産取りまとめ依頼書や不動産買付証明書には取引条件として「本件不動産に関し、売主の有する一切の情報開示をお願いします。」と記載して、Xに対し本件不動産に関する情報の開示を求めていたことが認められる。
しかしながら、Xは、Yのローン特約(ローンが組めなかった場合に買主が契約を解除して白紙に戻すことができるとの特約)の申出を拒んでおり、本件売買契約書中にも、ローン特約の約定や融資を受けるために必要な書類を交付する旨の約定はない。したがって、Yが融資を受けることが本件売買契約の法的な条件になっていたということはできず、Yが融資を受けるために必要な書類を交付すべき義務をXが負っていたということもできない。
また、証拠上、Xが故意に建物賃借人の決算書の提出を妨げた事実を認めることもできない。
裁判所はこのように判断して、こちらのYの主張についても採用できないとしました。
結論として、裁判所は、XのYに対する違約金1億7000万円の支払請求を認める判決をくだしています。