認知症の高齢者の方が行った不動産売買について~意思能力~
厚生労働省が平成27年1月に発表したところによりますと、認知症である高齢者の方は、2012(平成24)年には462万人であったと推計されるところ、2025(平成37)年には約700万人に達することが見込まれるそうです。65歳以上の方の約5人に1人が認知症であるということです。
このような状況からしますと、高齢者の方が行った不動産売買契約においても、認知症に関連したトラブルが増えていくことが予想されます。
今回は、認知症の高齢者の方が不動産売買契約を行った場合、「意思能力」との関係で、どのような点に留意しておいた方がよいのかについて、ご紹介いたします。
相談事例
Aさんの親戚Bさん(85歳)は、中等度の認知症であると診断されていましたが、所有する自宅で一人暮らしをしていました。Bさんは自宅のほかには不動産を所有していませんでした。
あるとき、AさんがBさんの家を訪れると、見慣れない契約書が机においてありました。気になったので読んでみると、Bさんの自宅を売却する内容になっており、末尾にはBさんの署名、押印もしてありました。日付をみると契約を取り交わしたのは最近のようです。
Aさんはこれまでにも度々Bさんを訪ねていましたが、自宅を売る話などまったく聞いたことがありませんでした。また、Bさんには自宅を売らなければならないほどお金に困っているといった事情もありませんでした。さらに、売却代金は相場に比べ非常に低いものでした。
驚いたAさんがBさんに尋ねると「署名は私の字のようだが、いつの間に契約したのか・・・。全く覚えていない・・・。」とのことでした。Bさんが自宅と別に家を借りているといった事情もありません。
Aさんは、Bさんが認知症によって売買契約の時には契約の効果を理解できていなかったのではないかと考えています。
ここがポイント
1.意思能力について
不動産売買契約に限らず、契約が有効とされるためには、契約の当事者に意思能力があることが必要です。
意思能力とは、自己の行為の法的結果を認識・判断できる能力のことを言います。不動産売買契約の場合にあてはめますと、契約によって不動産の所有権が買主のものになること、その代わりに売主は代金の支払いを受けることを認識・判断できることです。
民法には、意思能力についての定めはありませんが、「私的自治の原則」(=自分の自由な意思で形づくった法律関係によって拘束されること)から、当然に必要とされています。意思能力がなければ、自由な意思で法律関係を形づくったとはいえないからです。契約を行った当事者に意思能力がない場合、契約は無効になります。
なお、現在、民法の改正案が国会で審議されています。改正案には、意思能力についての定めが盛り込まれています(「法律行為の当事者が意思表示をした時に意思能力を有しなかったときは、その法律行為は、無効とする。」)。
意思能力一般につきましては、以前のアドバイスについてもご参照ください(2015年11月号「不動産売買のときに気をつけること~『行為能力』」)。
2.意思能力の有無についての判断ポイント
さて、相談事例のBさんは、中等度の認知症であるとのことです。
認知症とは、生後いったん正常に発達した種々の精神機能が慢性的に減退・消失することで、日常生活・社会生活を営めない状態のことを言うとされています。
もっとも、その程度や症状は様々であり、認知症であるからといって直ちに意思能力が否定されるわけではありません。
裁判所は、意思能力の有無について、医学上の評価、年齢のほか、契約締結前後の言動や状況、契約の動機・理由、契約に至る経緯、契約の難易度、契約の結果の軽重、契約内容が客観的に見て合理的かといった点を総合的に考慮して、判断しています。
参考までに、実際に認知症の方の意思能力が問題とされた裁判例を2例ほどご紹介いたします。
(1)1つ目は、土地建物の売主が、売買契約の時に、意思能力を欠いていたため売買契約は無効であるなどと主張して、買主らに対し所有権移転登記の抹消などを求めた事案です。
裁判所は、
・売主が売買契約当時90歳の高齢者であり、中等度ないしやや高度の認知症にかかっていると診断されていたこと
・代金額が著しく低いなど契約内容が売主に極端に不利な内容のものであったこと
・売買代金が売主に支払われた事実が認められないこと
などを根拠に、売主は、売買契約当時、売買契約の内容及び効果を認識する意思能力を欠いていたと認定し、売買契約が無効であると判断しました(東京地裁平成20年12月24日判決)。
(2)2つ目は、不動産の売買や仲介等を営む業者(宅建業者)が、認知症であった売主から土地建物を購入し、建物を賃借していた売主の長女・夫らに対して明渡し等を求めたのに対し、長女側が売買契約は意思無能力により無効であるなどと反論し争った事案です。
裁判所は、
・売主が中等度の認知症にかかっており記憶や見当識等の障害があった上、周囲に対して取りつくろったり迎合的になったりして場面や相手によって意見を変える傾向が明らかであり、自分の意見を表明することが困難な状態であったこと
・社会生活状況に即した合理的な判断をする能力が著しく障害され、自己の財産を管理・処分するには常に援助が必要な状態であったこと
・土地建物を売却すれば長女らが自宅を失う事態になりかねず売買契約の内容が極めて不合理であったこと
・買主が不動産取引の専門家として十分な注意義務を尽くしたとはいえないこと
などを根拠に、売主の意思能力がないことにより、売買契約が無効であると判断しました(東京地裁平成26年2月25日判決)。
3.相談事例の場合
それでは、相談事例の場合はどうでしょうか。
相談事例では、Bさんは中等度の認知症であると診断されており、年齢も85歳と相当高齢です。
また、BさんはAさんに対し契約の前後に自宅を売るといった話をしていませんでしたし、お金に困っていないBさんが非常に安い金額で自宅を売却しなければならない理由はないといえます。
さらに、借家もせずに自宅を売却してしまうと住居を失ってしまいますから、結果は重大ですし、契約内容も売却代金額が非常に低いなど合理的であるとはいえません。
買主が不動産業者であった場合は、不動産取引の専門家として注意義務を尽くしたかについても考慮されることになりましょう。
以上の事情を総合的に考慮すれば、売買契約当時、Bさんが自宅の売買契約の法的効果を理解していたとはいえず、Bさんには意思能力がなかったと判断される可能性が高いと考えます。
4.意思能力以外にも契約の効力が問題となりうる
なお、今回は、意思能力の問題を中心にコメントさせていただきましたが、意思能力があったと判断されたとしても、別の理由から契約が無効とされる場合があります。
例えば、認知症の高齢者を売主とした土地の売買契約が公序良俗(民法90条)に反するとして無効とされた例があります(大阪高裁平成21年8月25日判決)。
また、相手からだまされたり強制されたり、あるいは自ら誤解してしまったために、自由な意思決定がゆがめられてしまった場合には、契約が詐欺・強迫によって取り消されたり(民法96条)、錯誤によって無効である(民法95条)と判断される場合があります。
5.まとめ
不動産の売買契約は日用品の売買などとは異なり日常的な取引とはいえません。また、契約内容も複雑で、代金額も高額になるため、重大な結果をもたらす可能性が高い取引といえます。
認知症の高齢者の方が不動産売買をめぐるトラブルに巻き込まれないようにするためには、成年後見制度の活用等が望まれるところです(2015年11月号「不動産売買のときに気をつけること~『行為能力』もご参照ください)。