錯誤(さくご)による売買契約の無効とは?
事例
Aさんは、B社が売り出している14階建ての○×マンションの701号室を買うことを検討し、B社に行きました。物件の下見のときに、Aさんは、B社の社員に対して、高齢の夫婦であるAさんと奥様の2人で住む予定なので日当たりを非常に気にしていることを説明したところ、社員からは、「701号室の日当たりは良好です。」という説明を受けました。また○×マンションの隣の空き地には建物が建設予定であったため、Aさんは、社員に対してどのような建物が建つのか聞いたところ、「7階建てのビルが建設されますが、○×マンションの7階にある701号室とは同じくらいの高さであり、また○×マンションとは距離があるので、701号室の日当たりには影響がありません。」という説明を受けました。
Aさんは、このような説明を信じて701号室を買うことに決め、契約をして売買代金を支払いました。ところがその後になって、隣の空き地に建設予定のビルは7階建てとは言っても○×マンションの11階と同じくらいの高さであり、完成すれば701号室には一日中日が当たらなくなることが分かりました。B社の説明が間違っていたのです。
Aさんとしては、701号室には住みたくありませんので、B社に支払った売買代金を返して欲しいと考えていますが、どのような法律的主張が考えられるでしょうか。
ここがポイント
1.はじめに
Aさんとしては、民法95条にいう錯誤(さくご)があったとして、売買契約は無効であると主張し、売買代金の返還を求めることが考えられます。
そこで、今回は、この主張を検討する中で、錯誤(さくご)についてご説明させていただきます。
(ご参考:民法95条の条文)
意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない。
2.錯誤(さくご)とは何か
錯誤(さくご)とは、一般的には、内心の意思と表示した内容とが食い違っていることをその人自身が知らないこと、などと言われています。
錯誤にはいくつか種類がありますが、分かりやすい例を一つ挙げると、契約をするときに、契約書に100万円と書くつもりであったのに、間違って100円と書いてしまったという例が挙げられます。この例は、まさに内心の意思(100万円)と表示した内容(100円)とが食い違っていることから、錯誤と言えます(このような錯誤を「表示上の錯誤」と言います。)。
3.動機の錯誤とは何か
ところが、本件の場合、Aさんは、701号室を買おうという意思を持って、701号室を買うという内容を表示したのですから、内心の意思と表示した内容との間に食い違いはありません。問題にすべきなのは、Aさんがこのような内心の意思を持つに至った動機に関する誤解です。つまり、Aさんが701号室を買おうという意思を持ったのは、B社からの説明を受けて、隣地に建設予定のビルが完成したとしても701号室の日当たりが悪くならず、良好であり続けると誤解したからです。したがって、Aさんには、701号室を買おうと思った動機に関して誤解があったといえます。
このように、動機に関して誤解があったことを動機の錯誤と言います。
4.動機の錯誤には民法95条の適用があるか
動機の錯誤は、内心の意思と表示した内容との間に食い違いがないことから、上記2でご説明した錯誤の一般的な定義には当てはまりません。そのため、動機の錯誤には民法95条の適用がないというのが原則です。
しかしながら、これまでの裁判例では、例外的に、動機が相手方に表示されて法律行為の内容になった場合(例えば、マンションを購入するときに、「日当たりが良いから購入します。」というように購入の動機を示して購入する場合)には、動機の錯誤にも民法95条の適用を認めており、一定の場合に動機の錯誤に陥った人の保護を図っています。
なお、このように動機の表示が必要とされている理由は何かというと、契約の動機というものは、通常、相手方には分からないにもかかわらず、後になって動機の錯誤を理由に契約が無効とされてしまうと、相手方の取引の安全が害されてしまいます。そのため、動機の表示を必要とすることによって、相手方の取引の安全に配慮し、錯誤に陥った人の保護と相手方の保護とのバランスをとっているのです。
5.民法95条の要件は何か
次に、動機が表示されて、動機の錯誤にも民法95条の適用があるとしても、無効を主張するには同条に定める以下の2つの要件を満たさなければなりません。
①まず、その錯誤が重要な錯誤(要素の錯誤)であることが必要です。
具体的には、その錯誤がなかったらその意思表示をしなかったであろうし、通常人もそのような意思表示をしなかったであろうと言える程度の、客観的に重要な錯誤であることが必要になります。
これは、錯誤に陥った人の保護と相手方の保護とのバランスをとるため、無効を主張できる場合を重要な錯誤があった場合に限定しようという考えに基づくものです。
②次に、重大な過失がないことが必要です。
重大な過失とは、通常人であれば注意して錯誤に陥ることはなかったのに、著しく不注意であったために錯誤に陥ったことを言います。
これは、錯誤に陥った人に重大な過失がある場合にまで、無効の主張を認めて保護するのは適切ではないという考えに基づくものです。
6.本件の場合にAさんの主張は認められるか
これまでにご説明したことをまとめると、Aさんの主張が認められるためには、①Aさんの動機がB社に表示されて法律行為の内容になっていること、②Aさんの錯誤が重要な錯誤(要素の錯誤)であること、③Aさんに重大な過失がないことが必要になります。
では、具体的に見てみましょう。
①Aさんは、701号室の下見のときに、B社の社員に対して、日当たりを非常に気にしていることを説明し、社員からは、日当たりは良好であることや、隣地のビルが完成しても日当たりには影響がないことの説明を受けており、この説明を信じてAさんは701号室を買っています。このような経緯からすると、701号室の日当たりが良いということは、Aさんが701号室を買う重要な動機になっており、この動機はB社に対して表示され、Aさんの法律行為の内容になっていたと考えられます。
②次に、Aさんは、日当たりの良さを非常に気にしていたのですから、隣地のビルが完成すれば701号室には一日中日が当たらなくなることを知っていたら(日当たりについて錯誤がなかったとしたら)、701号室を買わなかったでしょうし、通常人がAさんの立場に立ってみても、やはり買わないと言えるのではないでしょうか。そうすると、Aさんの錯誤は重要な錯誤(要素の錯誤)であると考えられます。
③そして、本件の経緯をみるかぎり、Aさんに重大な過失があったとは考えにくいと言えます。
このように、①から③のいずれについても問題が無いと考えられますので、Aさんは、B社に対し、民法95条の錯誤があったことを理由に売買契約の無効を主張し、売買代金の返還を求めることができると考えられます。
7.最後に
今回は、錯誤についてご説明しましたが、無効を主張できるための要件をご紹介したとおり、契約時に何らかの誤解があったからといって、常に契約の無効を主張できるというわけではないことに注意する必要があります。
また、今回のトラブルは、701号室の日当たりについて、B社の社員がよく調べずに間違った説明をしたことが発端になっています。当然の教訓ですが、売買契約に関して、売主側としては、買主側から質問があったときに、よく調査せずに間違ったことを回答することは避けなければなりません。