1872(明治5)年5月(旧暦)、日本で最初の鉄道として、官営鉄道(のちの国鉄、現・JRの東海道本線)の品川~横浜間が仮開業、「横浜停車場」は「品川停車場」とともに日本で最初に開業した駅となった。新橋~横浜間の正式な開業は同年9月(旧暦)となる。写真は明治中期の「横浜停車場」で、その手前に「弁天橋」がかかる。左側の2階建ての建物が駅舎。 MAP __(初代横浜駅)
「開港場」となった横浜は、日本の近代化の先端を行く街として発展。日本初となる鉄道や近代水道も引かれた。
「開港場」となった横浜は、日本の近代化の先端を行く街として発展。日本初となる鉄道や近代水道も引かれた。
1872(明治5)年5月(旧暦)、日本で最初の鉄道として、官営鉄道(のちの国鉄、現・JRの東海道本線)の品川~横浜間が仮開業、「横浜停車場」は「品川停車場」とともに日本で最初に開業した駅となった。新橋~横浜間の正式な開業は同年9月(旧暦)となる。写真は明治中期の「横浜停車場」で、その手前に「弁天橋」がかかる。左側の2階建ての建物が駅舎。 MAP __(初代横浜駅)
図は『新橋横濱之間鉄道之図』の一部、横浜付近。作成した機関、年月日はいずれも不明であるが、鉄道を所管した「工部省」が品川~横浜間で仮開業した1872(明治5)年5月(旧暦)前後に作成し、明治政府の最高官庁である「太政官」に提出したものと思われる。「神奈川停車場」と「横浜停車場」の間は海上に築堤され線路が通されていた。もとは「袖ヶ浦」と呼ばれる入海であったが、1871(明治3)年、鉄道の線路を敷設するため、長さ約1.4kmにわたり、幅約65mで埋立て築堤された。この事業を行ったのは、江戸期からの実業家・高島嘉右衛門(「高島易断」でも知られる)で、完成後、埋立て地は高島町と命名された。
1914(大正3)年に京浜間での電車運転開始に伴い「高島町駅」が開業、翌年、「横浜駅」と、横浜以西へ向かう列車の運行の利便性を向上するため二代目「横浜駅」が「高島町駅」のそばへ移転した。この時、初代「横浜駅」は「桜木町駅」に改称されている。 MAP __(二代目横浜駅)
1928(昭和3)年、震災復興事業により、現在の場所に三代目「横浜駅」が開業した。 MAP __(現在の横浜駅)
1872(明治5)年5月(旧暦)に仮開業した官営鉄道(のちの国鉄、現・JR)の品川~横浜間の途中駅として、同年7月(旧暦)に「川崎停車場」と同時に「神奈川停車場」が開業した。1904(明治37)年には横浜初の路面電車、横浜電気鉄道(のちの横浜市電)が、神奈川停車場前~大江橋(現・桜木町付近)間で開通、翌年には京浜電気鉄道(現・京急)の川崎~神奈川停車場前(のちの「神奈川駅」)間が延伸され、3路線の乗り換え駅として賑わった。写真は明治後期の撮影で左側が駅舎。駅舎の手前には横浜電気鉄道の路面電車が止まっている。
1887(明治20)年、日本で初めての近代水道が横浜に誕生した。開港以来、都市化・近代化の進む横浜では水道の整備が必要になったことから、神奈川県がイギリス人技師ヘンリー・スペンサー・パーマーを招聘して1884(明治17)年末に整備事業を開始。「相模川」と「道志川」が合流する三井(現在の相模原市緑区三井周辺)から、「野毛山」の浄水場までの約44kmに渡って導水路線が敷かれ、沈殿池や貯水池を経由して市内に配水する上水道が完成した。「野毛山貯水場」は1887(明治20)年に完成した、日本最初の浄水場であった。しかし「関東大震災」により「野毛山貯水場」は全壊。震災復興にあたり、1930(昭和5)年に「野毛山配水池」として再建、周囲には、「野毛山公園」が整備された。写真は昭和戦前期の様子。