「谷津遊園」は、戦後も海水浴や潮干狩りができる海辺の遊園地として人気があった。昭和40年代に南側一帯の海が埋立てられたが、一部は現在も「谷津干潟」として残っている。母体である「京成電鉄」の「東京ディズニーランド」への経営参画計画もあり、1982(昭和57)年に閉園した。
船橋周辺の沿岸部は、戦後も行楽地として発展。特に「船橋ヘルスセンター」は「白亜の温泉デパート」をキャッチフレーズに一世を風靡した。戦前からの遊園地「谷津遊園」のほか、競馬場、オートレース場などもあり、一帯は子どもから大人まで楽しめる東京近郊の行楽地として発展。その後、レジャーの多様化や近隣でのテーマパークの開業などから施設の改廃が行われ、現在は「ららぽーと」「イケア」をはじめとする大型商業施設や、大型団地、公園などが立地する地域となっている。