船橋は古くから漁業が盛んな地で、江戸時代には徳川家の「御菜浦(おさいうら)」でもあった。明治期になると、津田沼・船橋の沿岸には塩田が開かれ、政府の試験場も置かれた。鉄道が開通すると、海水浴や潮干狩り客も訪れるようになり、塩田が廃止されると跡地には割烹旅館や遊園地が造られ賑わうようになった。
船橋の沿岸部の産業
船橋の漁業 MAP __
明治期に開かれた塩田
戦前の「船橋町海水浴場」 MAP __
現在の船橋市宮本三丁目付近。写真に見える歩行者用の「浜町橋」は、「船橋ヘルスセンター」ができた昭和30年代頃に「大神宮下駅」から向かう道の橋として設置され、1999(平成11)年に現在の橋に架け替えられた。
約1,800坪の海水プールもあった「三田浜楽園」 MAP __
1929(昭和4)年に「三田浜塩田」は廃止となるが、3番目の所有者はこの前々年に割烹旅館を創業、行楽地「三田浜楽園」として発展させた。総面積約4万坪、娯楽・玉突・児童遊戯・野球場などの設備や動物を飼養する所があり、特に約1,800坪の海水プールがあったため、夏季に地方や東京から来遊する人たちが多かったという。写真は釣り堀と割烹旅館「三田浜楽園」。川端康成氏が1935(昭和10)年頃に逗留したゆかりの宿でもあった。【画像は昭和初期】