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戦後の「西武鉄道」による観光開発

戦後、「狭山湖」と「多摩湖」の周辺は、「西武鉄道」により観光開発が行われ、多くの施設が誕生した。現在も「西武ドーム」「西武園ゆうえんち」「狭山スキー場」「西武園ゴルフ場」など人気の「西武鉄道グループ」の施設があるほか、「山口観音」「狭山不動尊」などの参詣や歴史散策、「狭山湖」「多摩湖」周辺での自然探索やサイクリング・ジョギングなど、多くの行楽客で賑わうエリアとなっている。



戦後の「狭山湖」周辺の観光開発

戦前からの観光地であった「村山貯水池」「山口貯水池」周辺の「狭山丘陵」には、戦時下の1940(昭和15)年に社会教育団体の「修養団」により「皇民道場」が置かれた。戦後の1947(昭和22)年、「西武鉄道」はこの跡地も入手、行楽地としての開発に着手した。

「西武園」の「ウォーターシュート」

「西武園」の「ウォーターシュート」(写真)は1951(昭和26)年の誕生で、開園初期からのアトラクションであったが、1992(平成4)年に廃止となった。
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1950(昭和25)年に「村山ホテル」を改装し「多摩湖ホテル」を開業、「東村山文化園」(翌年「西武園」へ改称、現「西武園ゆうえんち」)を開園、「村山競輪場」(現「西武園競輪場」)を開業、「おとぎ電車」を開通させ、翌年には「ユネスコ村」を開園、「山口貯水池」を「狭山湖」、「村山貯水池」を「多摩湖」と呼ぶようになった。その後も「西武園」の遊具などを拡充し、1959(昭和34)年に人工の「狭山スキー場」、翌年「西武園プール」、1964(昭和39)年には「西武園ゴルフ場」と、次々に大型の施設を開業した。その後、「ユネスコ村」周辺には「増上寺」の灯篭や国内各地の寺社建築などの文化財も移築され、1975(昭和50)年に「狭山不動尊」が開創された。

1979(昭和54)年、「西武グループ」はプロ野球球団「西武ライオンズ」(現「埼玉西武ライオンズ」)の経営に乗り出した。本拠地の「西武ライオンズ球場」は「西武園野球場」を改築したもので、1999(平成11)年にはドーム化され、「西武ドーム」(現在は命名権により「ベルーナドーム」)となり現在に至っている。

「西武園ゆうえんち」は、2020(令和2)年より『1960年代の懐かしいあの頃の世界』をテーマとするリニューアルが行われ、2021(令和3)年にオープンとなった。


「ユネスコこども博覧会」の会場として誕生した「ユネスコ村」

「ユネスコ村」は、1951(昭和26)年、日本が「ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)」に加盟したことを記念し、同年開催された「ユネスコこども博覧会」の第2会場として誕生した(第1会場は「豊島園」)。「ユネスコ」加盟国の風土や民俗風習を学び国際理解を深めるための施設で、各国のモデルハウスが建てられていた。写真は「ユネスコ村」のシンボルだったオランダ風車。「ユネスコ村」は1990(平成2)年に閉園となった。 MAP __(風車があった場所付近)【画像は1960~1980年代】

蒸気機関車も運行された西武山口線

1950(昭和25)年、「おとぎ電車」が「多摩湖ホテル前駅」(のちの「遊園地前駅」)から「上堰堤駅」まで開通し、翌年「ユネスコ村駅」まで延伸された。当初は遊戯施設であったが、1952(昭和27)年に正式な鉄道・西武山口線となった。機関車は蓄電池機関車で、1972(昭和47)年から蒸気機関車の運行も開始した。写真は蒸気機関車の運行開始当初の撮影で、撮影地点は「慶性門」の裏手付近。 MAP __(撮影場所)【画像は1972(昭和47)年】

この場所は、現在は「湖底の村広場」(写真)となっている。西武山口線は、1984(昭和59)年に運行を休止し、翌年、案内軌条式鉄道(愛称「レオライナー」)となった。「西武ライオンズ球場」(現「西武ドーム」)の南側から「ユネスコ村」にかけての区間は、「レオライナー」建設に伴い廃止された。

「西武ドーム」南側から「西武球場前駅」方面へ向かう「レオライナー」。かつては写真右方向へ線路が延びていた。左に見える芝生は「西武園ゴルフ場」の一部。 MAP __(撮影場所)

「狭山スキー場」と「狭山湖駅」

「狭山スキー場」は1959(昭和34)年に開業した歴史ある屋内人工スキー場。写真は開業2年後となる1961(昭和36)年の撮影。現在は毎年10月頃から3月頃までの営業となっており、全長約300m、幅約30mの造雪機による人工雪のゲレンデでスキー・スノーボードが楽しめる。 MAP __【画像は1961(昭和36)年】

写真は1962(昭和37)年の撮影。右の建物が「狭山スキー場」の入口で、そのすぐ北側(写真では左側)に西武狭山線の「狭山湖駅」があった。この駅の前身は、「武蔵野鉄道」の山口線「村山公園駅」(開業当初の駅名)で、この場所より300mほど「村山貯水池」寄りにあった。 MAP __【画像は1962(昭和37)年】

「狭山湖駅」は1979(昭和54)年の「西武ライオンズ球場」の開業に合わせ「西武球場前駅」と改称された。場所も「狭山湖駅」から300mほど「西所沢駅」寄りに移動している。写真は現在の「西武球場前駅」。 MAP __

「西武園野球場」から「西武ライオンズ球場」へ MAP __

「西武鉄道」により建設され、1963(昭和38)年に竣工した「西武園野球場」は小規模で、アマチュアを中心に使用された球場であった。元からあった「狭山丘陵」のスリバチ状の谷間の地形を生かして観客席が作られている。写真は完成当時のもので、バックネットは北側にあった。【画像は1963(昭和38)年】

「西武園野球場」の周囲には大小9つの運動場があり、運動会などに貸し出されていた。【図は1963(昭和38)年】

1978(昭和53)年にプロ野球の開催が可能な球場への改築工事に着手され、同年シーズンオフに「西武グループ」の「国土計画」が福岡のプロ野球球団「クラウンライターライオンズ」を買収、「西武ライオンズ」が誕生した。改修中の球場を本拠地として使用することとなり、翌年「西武ライオンズ球場」として開業。この改修で、バックネットは反対側(南側)に移された。写真は1985(昭和60)年の撮影。【画像は1985(昭和60)年】

「西武ライオンズ球場」は1999(平成11)年にドーム化され、「西武ドーム」(現在は命名権により「ベルーナドーム」)となり現在に至っている。「西武ライオンズ球場」の設計及び「西武ドーム」の設計監修は、「岩窟ホール」「所沢聖地霊園」など「西武鉄道グループ」の建築物を多数手掛けた建築家・池原義郎氏が行っている。


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