明治期から大正期に水需要が急増していた東京市(現・東京都)では、1913(大正2)年に「第一水道拡張事業」が計画され、「多摩川」の水を羽村から取水して貯めておく池、「村山(上・下)貯水池」が建設されることとなった。「村山上貯水池」は1924(大正13)年に竣工となるが、1925(大正14)年、さらなる水需要の増加から計画が見直され「山口貯水池」の建設も決定となった(「村山下貯水池」は1927(昭和2)年竣工)。「山口貯水池」の予定地には埼玉県入間郡山口村(現・所沢市)の旧・勝楽寺村の集落などがあり、282戸、1,720人が建設のためこの地を離れた。「山口貯水池」は1929(昭和4)年着工、1932(昭和7)年に通水式が行われ、1934(昭和9)年竣工となった。写真は完成当時の事務所(現「東京都水道局 村山山口貯水池管理事務所」)。 MAP __
明治期から大正期に水需要が急増していた東京市(現・東京都)の水道のため、「狭山丘陵」に「村山貯水池」と「山口貯水池」が建設された。貯水池が完成すると周辺は行楽の一大名所となり、鉄道3社が新線を開通、行楽客の争奪戦が繰り広げられた。