現在の所沢市域には古代に「東山道武蔵路」、中世に「鎌倉街道」、江戸期に「江戸道」(現「所沢街道」)が通るなど、古くから交通の要衝であった。鎌倉時代、鎌倉に幕府が開かれ、東国の各地から鎌倉へ向かう道「鎌倉街道」が発達、所沢には上州方面と鎌倉を結ぶ「上道(かみつみち)」が通っていた。所沢の集落は「鎌倉街道」の宿場のような役目を果たしていたといわれる。写真は1967(昭和42)年撮影の「長久寺」の西側を通る旧「鎌倉街道」の坂道。
現在の所沢市域には中世に「鎌倉街道」が通るなど、古くから交通の要衝であった。明治中期以降は鉄道が開通し、鉄道の要衝としても発展、戦後は「西武鉄道」の本拠地となった。幕末期頃から「所沢織物」の集散地として賑わうようになり、1881(明治14)年に所沢町が誕生。戦後は商業の中心地を駅前に移し、現在は再開発による新たな商業施設の建設も予定されている。所沢には明治後期に日本初となる飛行場が造られ、日本の航空技術の発達にも貢献。戦後、広大な飛行場跡地は米軍による接収ののち返還され、多くの公共性の高い施設が誕生した。昭和初期頃に「狭山丘陵」に貯水池が造られると周辺は観光地となり、戦後「西武鉄道グループ」による多くのレジャー施設が誕生している。