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「山口貯水池」の誕生と周辺の観光開発

明治期から大正期に水需要が急増していた東京市(現・東京都)の水道のため、「狭山丘陵」に「村山貯水池」と「山口貯水池」が建設された。貯水池が完成すると周辺は行楽の一大名所となり、鉄道3社が新線を開通、行楽客の争奪戦が繰り広げられた。


1934(昭和9)年に完成した「山口貯水池」

明治期から大正期に水需要が急増していた東京市(現・東京都)では、1913(大正2)年に「第一水道拡張事業」が計画され、「多摩川」の水を羽村から取水して貯めておく池、「村山(上・下)貯水池」が建設されることとなった。「村山上貯水池」は1924(大正13)年に竣工となるが、1925(大正14)年、さらなる水需要の増加から計画が見直され「山口貯水池」の建設も決定となった(「村山下貯水池」は1927(昭和2)年竣工)。「山口貯水池」の予定地には埼玉県入間郡山口村(現・所沢市)の旧・勝楽寺村の集落などがあり、282戸、1,720人が建設のためこの地を離れた。「山口貯水池」は1929(昭和4)年着工、1932(昭和7)年に通水式が行われ、1934(昭和9)年竣工となった。写真は完成当時の事務所(現「東京都水道局 村山山口貯水池管理事務所」)。 MAP 14【画像は1934(昭和9)年】

写真は昭和30年代撮影の「山口貯水池」の取水塔。1975(昭和50)年に「第二取水塔」が建設されたため、現在は「第一取水塔」と呼ばれる。湖に浮かぶヨーロッパの古城のようなデザインで、管理橋は吊り橋となっている。「山口貯水池」及び「村山貯水池」で取水された水は、1924(大正13)年完成の「境浄水場」へ送水される(現在は1960(昭和35)年完成の「東村山浄水場」にも送水される)。 MAP 15(第一取水塔)【画像は昭和30年代】

写真は現在の「山口貯水池」。貯水池内の右に見える塔が「第一取水塔」、それにつながる吊り橋が管理橋、吊り橋の左の湖岸にある建物が管理事務所。この管理事務所は、完成当初からの建物(一部増築)を使用している。


貯水池周辺の鉄道

「東京市水道局」のパンフレット

図は昭和初期の「東京市水道局」(現「東京都水道局」)のパンフレット。貯水池周辺に3社の鉄道路線が記載されている。また、「羽村取水口」から、両貯水池へ導水され、貯水後「境浄水場」へ送水されることがわかりやすく描かれている。

「村山貯水池」が完成(のちに隣接して「山口貯水池」も完成)すると、貯水池周辺は行楽の一大名所となり、「武蔵野鉄道」「多摩湖鉄道」「西武鉄道」(旧)の鉄道3社は新線を開通させ、行楽客の争奪戦が繰り広げられた。「武蔵野鉄道」は、1929(昭和4)年、「西所沢駅」から「村山貯水池」のそばの「村山公園駅」まで山口線を開通させ、「山口貯水池」が完成する頃には途中駅を「山口貯水池駅」に改称した。堤康次郎の経営する「箱根土地」の子会社「多摩湖鉄道」(1928(昭和3)年開業)は1930(昭和5)年に「村山貯水池駅」まで延伸。「西武鉄道」(旧)は1930(昭和5)年に村山線の一部として「東村山駅」・「村山貯水池前駅」(のちに「狭山公園駅」へ改称)間を開通させた。その後、各路線は駅の移転や駅名の変更を経たのち、「武蔵野鉄道」山口線、「西武鉄道」(旧)の「東村山駅」・「狭山公園駅」間は戦時中に休止路線となった。

戦後、この3路線は全て「西武鉄道」の路線となった。「多摩湖鉄道」は1940(昭和15)年「武蔵野鉄道」と合併、戦後に西武多摩湖線に。「武蔵野鉄道」山口線は1951(昭和26)年に営業が再開され西武狭山線に。また、「西武鉄道」(旧)村山線の「東村山駅」・「狭山公園駅」間は1948(昭和23)年に西武村山線の一部として営業再開となったのち、「村山貯水池」付近の区間が廃止され、1952(昭和27)年に西武西武園線となった。


「村山ホテル」の開業

「西武鉄道」(旧)は行楽客誘致のため、1928(昭和3)年に「村山下貯水池」の堰堤北側に「村山ホテル」を開業した。写真は昭和戦前期の様子。 MAP 16(撮影場所)【画像は昭和戦前期】

現在の同地点からの様子で、中央奥に見える「ジャイロタワー」(「西武園ゆうえんち」内)付近が「村山ホテル」の跡地となる。

「村山ホテル」より望む「村山下貯水池」。「村山ホテル」は戦後の1950(昭和25)年に改装され「多摩湖ホテル」となったのち、1961(昭和36)年に取り壊しとなった。 MAP 17【画像は昭和戦前期】

「西武園ゆうえんち」の「ジャイロタワー」から望む現在の「村山下貯水池」。

「狭山富士」と「玉湖神社」

「村山上貯水池」と「山口貯水池」の間には、1933(昭和8)年に「山口貯水池」の工事で掘り起こした土を盛り上げた「狭山富士」が展望台として造られた。当初は、写真のように「富士山」の冠雪に似せて、頂上付近に白いコンクリートが被せられていたが、翌年の雨で崩れ、南側は一段低くなってしまったという。 MAP 18【画像は昭和戦前期】

現在の様子。入口の階段は現存しているが、山体は完成当初の写真より低くなっている。頂上付近では崩れたコンクリートの残骸を見ることができる。現在の「狭山富士」の標高は約150m、入口から山頂までの高さは約18mとなっている。

昭和戦前期の撮影の「狭山富士」から望む「山口貯水池」。【画像は昭和戦前期】

現在の同地点付近からの様子。

「玉湖(たまのうみ)神社」は、東京の水の守護神として1934(昭和9)年に「東京市水道局」(現「東京都水道局」)により、「狭山富士」の東隣に建設された。写真は完成当初の頃の撮影。 MAP 19【画像は昭和戦前期】

戦後、東京都の所有であることが問題となり、1967(昭和42)年に祭祀を終了し現在は何も祀られていないが、旧境内には本殿の建物、鳥居、狛犬、殉職者の碑などが残る。拝殿は、2011(平成23)年の「東日本大震災」の影響で危険な状態となり、同年解体された。


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