写真は昭和30~40年代の北口の様子。写真中央のアーケードは「高松通り」の商店街。写真左下、「多摩中央信用金庫」の先に入口がある「フインカム前商店会」は、「立川基地」の正門を出て北西に向かう道沿いにあり、米兵向けのバー・キャバレーなども多かった。
終戦後、「立川飛行場」は米軍が接収・進駐し、立川は基地の街となった。駅北口には露店やヤミ市が立ち並び、1950(昭和25)年に「朝鮮戦争」が始まると米兵を相手とする商売で好景気となった。戦中期に行われた建物疎開と「緑川」の掘削は、戦後の北口の街づくりの原点となった。その後、駅周辺には大型の商業施設がオープン。現在も立川で営業を続ける「伊勢丹」「髙島屋」も開店しているが、どちらも現在とは違う場所にあった。