「住吉・芦屋のなりたち」写真館
「六甲山地」から流れる天井川 「石屋川」 MAP __(石屋川隧道跡地)
明治32年に移転してきた師範学校 後に「神戸大学」に発展 MAP __
住吉などで行われていた地引網漁 とったイワシは肥料に
「芦屋駅」に停車する電車 明治38年に阪神本線が開通 MAP __
関西で最初の海水浴場 海の家が並ぶ風景 MAP __
『阪神間モダニズム』と東灘区・芦屋市 MAP __
大阪と神戸という二つの都市に挟まれたこの地域は、もともと地域住民の文化的な意識も高く、神戸の開港以降は、外国の文化も伝わり、さらに資産家や芸術家らが移り住んだことで豊かな文化的土壌が育まれてきた。1990年代、地元の研究者や学芸員がそうした文化を『阪神間モダニズム』と名付け、研究や発表・展示が行われるようになった。この「阪神間」の定義には諸説あるが、主に二つの都市に挟まれた尼崎、西宮、伊丹、宝塚、芦屋の各市を指し、戦前は独立した町村(御影町・住吉村・魚崎町など)だった神戸市東灘区も含まれている。
1990年代当時は、この地域には主に大正・昭和戦前期に建てられた建造物がまだ多く残っており、こうした建造物を再評価、保存する動きとなって現れた。しかし、1995(平成7)年に発生した「阪神・淡路大震災」は、歴史的建造物に多大な被害を与え、地域に残された芸術作品にも危機が訪れた。そうした被害からの救済、復興なども必要となり、作家や作品の再評価も行われたが、かなりの建造物が安全上の理由もあって取り壊されている。
『阪神間モダニズム』を代表する建造物として、この地域(東灘区・芦屋市)に残るものは、「旧山邑邸」、「滴翠美術館」、「白鶴美術館」、「御影公会堂」などである。また、この地域で活躍した芸術家として、作家の谷崎潤一郎、画家の小出楢重、写真家の中山岩太、作曲家の貴志康一らがいる。