川崎市の北西部の「多摩丘陵」の一角に位置する「生田緑地」。戦前期、このあたりはハイキングコースの一部であったほか、「向ヶ丘遊園」が無料の自然公園として開園、自然豊かな行楽地となっていた。
「太平洋戦争」の開戦の年となる1941(昭和16)年の3月、「向ヶ丘遊園」を含む一帯は「生田緑地」として、内務省により都市計画決定された。当時は防空緑地として、空襲からの避難場所や延焼遮断帯としての役割を担っていた。これにより、一帯は行政の管理下に置かれたため、戦後も市街地化・宅地化を免れ、豊かな自然が残ることとなった。
「川崎国際カントリークラブ」のクラブハウス。【画像は1952(昭和27)年】
旧クラブハウスの跡地は2017(平成29)年に「生田緑地西口展望広場」として整備された。広場入口には「川崎国際生田緑地ゴルフ場旧クラブハウス跡」の碑も建てられている。広場の後ろに見える建物は「専修大学 生田キャンパス」(1949(昭和24)年開設)の校舎。
1954(昭和29)年、「生田緑地」の一部を民間企業が借り受け、「川崎国際カントリークラブ」が営業を開始。クラブハウスは、モダニズム建築で有名な土浦亀城(かめき)の設計であった。1992(平成4)年に川崎市に返還され公営の「川崎国際生田緑地ゴルフ場」となり、クラブハウスは2013(平成25)年に建て替えられている。
「生田緑地」内には、1967(昭和42)年開園の「日本民家園」に始まり、1971(昭和46)年開館の「プラネタリウム館」(現「かわさき宙(そら)と緑の科学館」)、1999(平成11)年開館の「岡本太郎美術館」、2011(平成23)年開館の「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」など、文化施設の設置も進められてきた。
2002(平成14)年、「向ヶ丘遊園」は閉園となったが、川崎市が「ばら苑」の管理を引き継ぎ「生田緑地ばら苑」として毎年春と秋に公開。2018(平成30)年、「小田急電鉄」は「向ヶ丘遊園」跡地を「人と自然が回復しあう丘」をコンセプトとする開発計画を決定。「商業施設エリア」「温浴施設エリア」「自然体験エリア」の3つのゾーンからなる施設の整備が進められており、2023年頃に完成する予定となっている。