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変貌する西新宿、都内有数の高層ビル街の形成

「淀橋浄水場」跡地は副都心として開発され、「京王プラザホテル」の竣工を皮切りに高層ビル群が建設、都内有数の摩天楼が誕生した。


戦後の開発で姿を消した、風光明媚な「十二社の池」 MAP __

西新宿の西端を通る「十二社通り」沿いに、「熊野神社」の境内がある。その境内に隣接する形で、1606(慶長11)年に農業用の「十二社(じゅうにそ)の池」が作られた。江戸中期になると、池の周囲に多くの茶屋が建ち並び、上野の「不忍池」などとともに手軽に訪れられる観光地として賑わいをみせ、歌川広重の「名所江戸百景」にも描写されるほどであった。【画像は明治後期】

ビルの左の道は池のくぼみ跡にあたる。右の道路は「十二社通り」で、写真奥へ進むと右手に「熊野神社」がある。

西口に人の流れを生み出した「専売局」の煙草工場 MAP __

明治の半ば、「淀橋浄水場」が整備されたものの、現在の西新宿方面に行き交う人は少なく閑散としていた。1910(明治43)年、この地に移転したのが「専売局」の煙草工場である。工場が操業されると、多くの雇用と人の流れを生み出し、新たな活気をもたらした。工員たちの通勤のために乗降客も増え、煙草の運搬のために貨物の取扱量も急増、人と物の流れに大きな影響を与えた存在といえる。【画像は大正期】

「専売局」の跡地は小田急「新宿」駅の目の前にあり、現在は家電量販店「ビックカメラ」などが入る複合商業施設「新宿西口ハルク」が建つ。

地上を走る京王線の電車とランドマークだったガスタンク MAP __

「甲州街道」を走っていた京王線は駅ビルの完成に伴い、新宿~初台間を1963(昭和38)年に地下化している。写真は地下化前に撮影されたもので、電車の背後に見えるのは1912(明治45)年に建設された「東京ガス」のガスタンク。明治時代の「新宿駅」周辺は、広大な用地が確保できる余裕があったため、多くの工業系施設が建設されていた。【画像は1962(昭和37)年頃】

ガスタンクは1990(平成2)年に取り壊され、跡地には「東京ガス」の「新宿パークタワー」が完成した。

副都心計画の一環で誕生した区民の憩いの場 MAP __

「新宿中央公園」は、1968(昭和43)年に新宿副都心計画の一事業として開園。新宿区立の公園としては、最大の面積を誇る都市公園である。江戸時代には「熊野神社」の境内であり、整備前には「六桜社」(現「コニカミノルタ」)の工場や「淀橋浄水場」の一部も含まれていた地域である。【画像は1968(昭和43)年】

写真は、同地点を撮影したもの。噴水は無くなっているが、変わらず都心のオアシスとして親しまれている。春には新宿区の姉妹都市・長野県伊那市の「高遠コヒガンサクラ」が満開になり、花見客で賑わう。

西新宿初の高層ビルとして完成した「京王プラザホテル」 MAP __

西新宿を副都心とする構想が持ち上がったのは、1960(昭和35)年のこと。1971(昭和46)年に竣工した「京王プラザホテル」は、初めて新宿に誕生した高層ビルだ。当時、日本で高層ビルと言えば、1968(昭和43)年に完成した「霞が関ビル」くらいしかなく、地震国日本には摩天楼など夢物語と思われていた。【画像は1970(昭和45)年】

構造技術の進化によって高層ビルの建設が可能となり、西新宿には次々と高層ビルが竣工していった。右から2番目の高層ビルが「京王プラザホテル」。

「都庁」の移転によって、新宿が都政の中心に MAP __

「東京都庁舎」は有楽町におかれていたが、副都心計画の一環として、西新宿に移転が決まった。コンペティションが催され、審査の結果、建築家・丹下健三が設計者に選ばれた。1991(平成3)年に竣工し、高さは約243m。当時、国内でもっとも高いビルだった。2つの塔を備えた「都庁舎」は遠方からも目を引き、副都心のシンボルになった。【画像は1991(平成3)年】

「東京都庁舎」の完成後も周辺では高層ビルの建設は続き、西新宿は都内でも有数の“摩天楼”が建ち並ぶエリアとなった。


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