写真は1950(昭和25)年の小田急小田原線「豪徳寺駅」前の様子。正面に見える鉄道の高架が小田急小田原線。自転車の右に見える店舗は1945(昭和20)年創業の和菓子店「明菓堂」(現在は閉店)。その先を右折すると、「玉電山下駅」(現・東急世田谷線「山下駅」)がある。その乗り換え客も多かったほか、玉電沿線や小田急の「豪徳寺駅」周辺は、戦前期に土地区画整理が行われ、住宅地として発展していたこともあり、駅前には商店が多く立地している。この撮影の翌年となる1951(昭和26)年に「山下商店会」が設立されている。
戦後、世田谷の街はさらに住宅地としての発展を見せる。1945(昭和20)年に30万人に満たなかった人口は、15年後の1960(昭和35)年に約65万人と倍以上に急増、2015(平成27)年には90万人を超えた(「国勢調査」における人口総数)。人口の増加とともに、各駅前を中心に日常生活のための商店が多数立地するようになり、賑わう商店街も形成されるようになった。