このまちアーカイブス INDEX

「日本万国博覧会」の開催

「人類の進歩と調和」をテーマとして開催された「日本万国博覧会」は、6,400万人を超える入場者数を記録し、当時の人々に強烈なインパクトを与えた。会場内のほとんどのパビリオンは撤去されたものの、「太陽の塔」や「日本庭園」などは保存されて、跡地を整備した「万博記念公園」は昭和の偉大な遺産となっている。


岡本太郎氏の代表作、「万博」の象徴的な存在「太陽の塔」 MAP __

現在も「万博記念公園」にそびえ立つ「太陽の塔」は、昭和を代表する芸術家・岡本太郎氏の代表作であり、「日本万国博覧会」の象徴的な存在でもあった。塔の高さは70mで、伸ばした腕の長さは25m。上部には未来を表す黄金の顔、白い胴体部の正面には現在を表す太陽の顔、背面には過去を表す黒い太陽の顔という、三つの異なる顔をもつ。写真は建設中の様子。【画像は1969(昭和44)年】

会期中は地下、地上、そして空中(大屋根)に「テーマ館」という展示空間が設けられていた。地下と空中の展示は閉幕後にそれぞれ撤去されたが、「太陽の塔」については署名運動がおこり、1975(昭和50)年に永久保存が決定した。写真は会期中の様子。【画像は1970(昭和45)年】

「万博」閉幕後は、「建築基準法」「消防法」などの関係で「太陽の塔」内部の公開や立入りは基本的にはできなかった。2016(平成28)年、大阪府は「太陽の塔内部再生事業」に着手、現在の建築基準や防火基準を満たすための工事を行ったほか、「生命の樹」や「地底の太陽」など内部展示も復元し、2018(平成30)年に一般公開を再開した。

田治六郎氏が設計・施工した「日本庭園」 MAP __

日本政府が出展した施設の一つがこの「日本庭園」で、現在も当時のままの姿で残されている。東西1,300m、南北200mの面積26haの細長い敷地の設計・施工に、造園家の田治六郎氏が当たった。日本の造園技術の粋を集め、西から東に流れるせせらぎに沿って上代・中世・近世・現代の四つの造園様式が取り入れられている。上代のエリアには泉と滝、中世のエリアには洲浜と心字池が造られ、花しょうぶ田やつつじケ丘などとともに、二つの「茶室」や「迎賓館」が設けられた。海外からの観光客が日本のわび・さびに触れることのできる、癒しのスポットでもあった。【画像は1970(昭和45)年】

現在の心字池付近。広さ11,000㎡で、真上から見ると「心」の文字を書き現した形の池となっている。


約6,421万人を集めた「日本万国博覧会」

閉会式の様子

閉会式の様子【画像は1970(昭和45)年】

『人類の進歩と調和』をテーマにして、1970(昭和45)年に開催された「日本万国博覧会」は、1964(昭和39)年開催の「東京オリンピック」に並ぶ、戦後日本の一大イベントであった。このアジア初の国際博覧会が、東京都(首都圏)ではなく、大阪府吹田市の「千里丘陵」で開かれたことは、関西経済に多大な刺激を与え、千里地域の発展に大きく寄与した。

会場面積は330haで、3月15日から9月13日までの183日間にわたり開催され、当初の予想3千万人を大きく上回る、約6,421万人が来場した。多数の人々が移動するための交通機関として阪急千里線には、臨時駅「万国博西口駅」が設けられた。また、大阪市営地下鉄の「江坂駅」と「万国博中央口駅」を結ぶ北大阪急行電鉄が建設され、閉幕とともに「万国博中央口駅」は廃止となり、現「千里中央駅」まで正式に開通、阪急千里線と並ぶ「千里ニュータウン」の住民の足となった。また周辺道路も整備された。

会期中に多くの人々を魅了したパビリオンは、閉幕後にほとんどが取り壊されたが、「太陽の塔」は嘆願が実って保存され、「日本庭園」とともに「日本万国博覧会」の偉大な遺産となっている。「万博」のパビリオン「日本民芸館」は、1972(昭和47)年、「大阪日本民芸館」として開館したほか、1977(昭和52)年には「国立民族学博物館」も開館した。パビリオンが林立していた場所は、撤去後、「自然文化園」が整備された。跡地全体は「万博記念公園」として整備されている。

「環状道路」に囲まれた楕円形の「日本万国博覧会」会場

「日本万国博覧会」の会場は、「環状道路(大阪府道1号線)」に囲まれる形で楕円形に広がっていた。メインの会場は、現在の「中国自動車道」の北側で、南側には「エキスポランド」と「エキスポタワー」、駐車場があった。「お祭り広場」「太陽の塔」の南側に中央口が設けられ、その南側、現在の「中国自動車道」の一部に、北大阪急行電鉄会場線の「万国博中央口駅」が開設された。一方、「環状道路」の西端には、阪急千里線の臨時駅「万国博西口駅」が設けられた。日本政府が出展した「日本館」は「環状道路」に面した東端におかれ、「アメリカ館」と「ソ連館」は会場西側で南北に離れて位置し、北側には「日本庭園」が広がっていた。
MAP __(万国博中央口駅跡地付近)MAP __(万国博西口駅跡地付近) 【画像は1970(昭和45)年】

「日本万国博覧会」の遊園地は「エキスポランド」に MAP __

「日本万国博覧会」開催時に設けられた遊具やアトラクションが並ぶ「エキスポランド」は、閉幕後の1972(昭和47)年3月、会期中と同じ名称で営業を再開し、関西を代表する遊園地となっていた。「国際科学技術博覧会(科学万博つくば'85)」の会場から移設された観覧車「テクノスター」などのアトラクションもあった。高さ127mのシンボルタワー・展望台「エキスポタワー」は2003(平成15)年に、人気のジェットコースター「ダイダラザウルス」は2008(平成20)年に撤去された。「エキスポランド」は2007(平成19)年に休園に入り、2009(平成21)年、再開されることなく閉園となった。

写真は「日本万国博覧会」会期中の「エキスポランド」の様子。現在の「エキスポシティ」の「C駐車場」付近から北東方向を望んでいる。
MAP __(撮影地点付近)【画像は1970(昭和45)年】

「エキスポランド」の跡地には2015(平成27)年11月、大型複合施設の「エキスポシティ」がオープンした。日本最大の観覧車「OSAKA WHEEL」をはじめとするエンターテインメント施設とショッピング施設などが営業している。


次のページ 「万博」関連の交通網整備


MAP

この地図を大きく表示



トップへ戻る