閉会式の様子【画像は1970(昭和45)年】
『人類の進歩と調和』をテーマにして、1970(昭和45)年に開催された「日本万国博覧会」は、1964(昭和39)年開催の「東京オリンピック」に並ぶ、戦後日本の一大イベントであった。このアジア初の国際博覧会が、東京都(首都圏)ではなく、大阪府吹田市の「千里丘陵」で開かれたことは、関西経済に多大な刺激を与え、千里地域の発展に大きく寄与した。
会場面積は330haで、3月15日から9月13日までの183日間にわたり開催され、当初の予想3千万人を大きく上回る、約6,421万人が来場した。多数の人々が移動するための交通機関として阪急千里線には、臨時駅「万国博西口駅」が設けられた。また、大阪市営地下鉄の「江坂駅」と「万国博中央口駅」を結ぶ北大阪急行電鉄が建設され、閉幕とともに「万国博中央口駅」は廃止となり、現「千里中央駅」まで正式に開通、阪急千里線と並ぶ「千里ニュータウン」の住民の足となった。また周辺道路も整備された。
会期中に多くの人々を魅了したパビリオンは、閉幕後にほとんどが取り壊されたが、「太陽の塔」は嘆願が実って保存され、「日本庭園」とともに「日本万国博覧会」の偉大な遺産となっている。「万博」のパビリオン「日本民芸館」は、1972(昭和47)年、「大阪日本民芸館」として開館したほか、1977(昭和52)年には「国立民族学博物館」も開館した。パビリオンが林立していた場所は、撤去後、「自然文化園」が整備された。跡地全体は「万博記念公園」として整備されている。