「明治神宮外苑競技場」は1919(大正8)年に着工、「神宮外苑」全体が完成する2年前、1924(大正13)年に竣工した。1936(昭和11)年に、1940(昭和15)年「東京オリンピック」の開催が決定すると、そのメインスタジアムの候補となった(その後、駒沢に競技場を新設することに決定)。しかし、「日中戦争」の勃発により、1938(昭和13)年に開催を返上した。
1918(大正7)年に策定された「神宮外苑」の当初計画では、「聖徳記念絵画館」「葬場殿址記念物」「憲法記念館」「陸上競技場」の四つの施設が予定されていたが、その後、スポーツ熱の高まりを受け、1924(大正13)年に計画を変更し、野球場、水泳場、相撲場も設けられることになった。